■ [大事なこと]私のやっていること
私の所には日本中の仲間からのメールが来ます。さまざまな悩みが来ます。下で書いたように、手ほどきに関しては直ぐに対応できます。しかし、それを越えた先に関して確実に成功する「方法」を示すことは出来ません。出来るのは、過去の同志の事例を基に例示することです。本質的には、同じ職場の仲間と一緒に解決するしかありません。
で、私はどうしようとしているか。それはロジャーズやムーアの理論に基づき、多様な教師に向けて、多様な入り口を用意することです。
もうちょっとお待ち下さい。私が出来ることを今やっています。私は「一人も見捨てたくない」と本気で思っています。理由は、それを知ると苦しくてしょうがないからです。そして、そのような情報が集まるのです。だから自分のために「一人も見捨てない」道を捜します。
■ [大事なこと]方法と考え方
『学び合い』は考え方です。では、その考え方とは何でしょうか、学校教育に限定するならば、「多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決することが最大の戦略であることを学ぶのが学校教育の目的」、「子どもは有能である」という短い言葉で表現される2つの言葉です。私が拘るのは、これだけ。ところが、私が手ほどきでそれを言っても分からないから、その人の求める状況に、それを適応するとどうなるかということを語ります。でも、それは方法なのです。私にとってはどうでもいいことです。
が、方法と考え方の違いは、なかなか分かってもらえない。
我がゼミの場合、ゼミ生から求められたらば方法を例示します。しかし、ゼミ生はその方法が例示の一つにすぎないことを現実の学校現場で分かります。そして、私が求めるのは「日本を変える」ということで、具体的には「一人も見捨てない」ということです。それを求めると、彼ら自身で方法を考えます。私はそれがセオリーに照らしてあっているか否かを問います。しかし、私がセオリーにあっていないと判断しても、どうでもいいのです。大事なのは「一人も見捨てない」ということです。
私は『学び合い』の手ほどきは出来ますが、その先は当人しか解決できません。私が出来ないのは大学教師だからではなく、他人の誰でも出来ません。それは実践界の巨星でも出来ません。自分しかできません。しかし、それを確実にするとしたら、集団を作るしかないのです。だから私はそうしています。
追伸 私は一人の教師にすぎません。しかし、おそらく、「多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決することが最大の戦略であることを学ぶのが学校教育の目的」、「子どもは有能である」という二つの考えが、どれほどの凄さがあるかということを一番知っているのは私だと、不遜ながら思っています。