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2012-08-08

[]意欲 09:33 意欲 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 意欲 - 西川純のメモ 意欲 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は宮城県角田で講演です。主催者から学ぶ意欲について語って欲しいとのご希望がありました。その結果、5年回ぐらいは話していないことを話そうと思いました。

[]『学び合い』の会 09:04 『学び合い』の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 『学び合い』の会 - 西川純のメモ 『学び合い』の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 書くべきか、書かないべきか悩んだのですが、書くことにしました。それは『学び合い』の会についての私の捉えです。

 『学び合い』の会は、『学び合い』を学ぼうとする人の集いですが、『学び合い』ではありません。なぜなら『学び合い』の成立に必須な条件である「管理者」がいないからです。例えば西川ゼミの学生さんに対して私は管理者です。しかし、卒業・修了したら私は管理者でなくなるのです。管理者とはそういうものです。

 従って、『学び合い』の会の主催者が管理者であるわけありません。従って、『学び合い』が成立するわけありません。しかし、『学び合い』に近い状態にする努力は必要です。

 ではどうするか?

 サルの時代から、肉親の間では管理者がいなくても『学び合い』が出来ます。そして、サルがより大きな群れを形成するようになって、同じ群れ同士の間では管理者がいなくても『学び合い』を成立することが出来ます。これらは本能です。しかし、そのような群れを形成していない者同士が『学び合い』を形成するには、管理者は必須です。

 では、どのようにして人はネットワークを形成しているのでしょうか?人のネットワークを分析していると圧倒的大多数は、身近な人の中で完結した集団の中でクローズしています。ところが、少数ですがそうでない人がいます。その人がばらばらの小集団を繋いでいるのです。

 ではどうしたらいいか?『学び合い』の会に参加する人には色々な人がいます。『学び合い』を実践し、その良さを知っている人です。『学び合い』が広がるにつれて、『学び合い』の会に参加する人の中でそのような人の割合は少なくなります。『学び合い』をちょっと実践した人。『学び合い』を実践したことはないが実践したいと思う人。『学び合い』に興味はあるが、実践するつもりは無い人です。それらの人たちがばらばらな状態、それも管理者もいない状態で『学び合い』に近い状態を成立するためには何が必要か?それは『学び合い』を実践し、その良さを知っている人が、動かなければならないのです。私が本でよく書く、2:6:2の2の人が動かなければなりません。もし管理者のいない状態で、『学び合い』に近い状態が成り立たなかったとしたら、他ならない2の人が動かなかったことが原因です。その2の人は他地域の2の人と繋がり、それを繋げる役割を果たすことが期待されています。

 主催者の方から、『学び合い』の会において『学び合い』が成立していないことを議論しているグループが生まれたことを聞きました。その中に、その会話を動かしている方がいる方を見出しました。そして、その中に、他地域の『学び合い』の会にも積極的参加している方が含まれていることを見取りました。それ故、私は安心しました。

 今回の『学び合い』フォーラムの開始直後、主催者の一人に「ミッションを設定していなかったね」と耳に囁きました。その方は「あ!」とした表情になりましたが、微笑まれました。その方は一瞬のうちにそれを理解し、シミュレーションをしたのだと思います。そして、ミッションを明確にする得失と、それを明確にしないことによる自由度の得失を計算されたのだと思います。おそらく、『学び合い』の会で『学び合い』を成立させること以上に、多様な人の中で何が生まれるかを見出そうとすることを優先したのだと思います。その中には、『学び合い』の会は『学び合い』ではないことを明らかにすることも含まれると思っています。私はその判断は正しいと思います。

 色々な問題はある、それを見出した後は、代案を出さねばなりません。そして、行動しなければなりません。それが無いならば、批判は単なる悪口にすぎません。

 では、西川ゼミではどうしているか?西川ゼミでは越後『学び合い』の会を開いています。そこでは私という管理者がいる西川ゼミが中心になって動いています。さらに、それを徹底するために、地元の『学び合い』実践者が管理者となっている子ども集団を参加してもらい、『学び合い』の会の参加者の中に含まれる、『学び合い』が成立している集団の中にいる人数比を高めているのです。もちろん、それであっても、越後『学び合い』の会において参加者全員の管理者はいないのですから完全な『学び合い』成立させことは不可能だと思います。しかし、上記によって実現に近づけようとしています。

 いかなる方法も最善はありません。今回の会において、学生さんの「のり」の会をイメージしている発言がありました。しかし、それに対して、その方向に進むことに違和感を感じる人もいたことを私は知っています。今回のフォーラムは極めて自由な形式でした、だから本来、それを最大限に生かしているならば問題はなかったはずです。どうやったら自由さを生かし切れたかが課題でしょう。

 個人的な印象ですが、『学び合い』ではフリートークという時間があります。これは本当に自由な時間です。今回はそれよりも「お約束」が多かったように思います。結果として、初めての人は「どこまでがお約束で」、「どこからが自由なのか」の切れ目が分かりづらかったのだと思います。

 さてさて、長々と書きましたが。繰り返しになりますが、最善の方法はありません。同志の方々が多様な方法を柔軟にやり続けることが大事です。代案と実行、それが期待されます。

追伸 いずれにせよ、今回のフォーラムは大満足でした。ただ、一点、お願いしたいのは、配付資料の文字が小さかった。オジサンにはなかなか辛いものがあります。あははは