■ [大事なこと]校長の方へ
もし、あなたが校長で『学び合い』を学校で取り組みたいと願ったならばどうしたらいいでしょうか?まず職員の顔を一人一人思い浮かべてください。「一人も見捨てない」という教育にフィットする教員は2割はいるはずです。その中に、周りの職員が認める中堅・ベテランが含まれていたら、まず成功は確実です。
次に『学び合い』ステップアップやスタートブックを読ませてください。でも、おそらく半信半疑だと思います。そうしたら複数の教員で生の『学び合い』を参観させてください。『学び合い』は今までの教育とはかなり異質です。本を読んでも既存の枠組みで理解しようとして誤読をするのが通例です。しかし、あなたが思い浮かべる教師だったら、生を見ればその意味するものを理解できます。ただし、これを学校に戻って説明するのはなかなか難儀だと思います。ま、「上越に行ったら妙高山に雪男がいた」と言うようなものです。その言葉に説得力を持たせるには二人の教員が必要なのです。なによりも、おそらく参観からの帰りの道で目で見たものを互いに語り合うことによって理解が深まります。
そうしたら、『学び合い』をやろうとする職員にとりあえずステップアップやスタートブック通りに実践させてください。悩みがあれば、私にメールをさせてください。私は絶対に、絶対に誠意を持って対応します。また、コンピューターに堪能な方がいればスカイプで相談を承ります。
■ [大事なこと]学校で取り組むには
最近では学校で『学び合い』を取り組むために相談を受ける頻度が急激に増えています。ある意味、当然です。学校の先生の悩みの大部分は教科指導の悩みです。ところが、それを一緒になって研修することが困難です。授業の見せ合いは多くの学校でやっていますが、見せる側と見る側に分かれており、一緒に授業を作るということができません。それが中学校、高校だとほぼ不可能です。『学び合い』の場合、学級を超え、学年を超え、教科を超えて教職員が一緒になって研修することができます。
さて、私は今まで多くの人から学校として『学び合い』を取り入れることを相談を受け、その成否を見守っていました。その結果、何がポイントかがわかります。
意外かもしれませんが、校長が『学び合い』に肯定的であることは絶対条件ではありません。もちろん反対した場合は『学び合い』を実践することは難しくなると思います(不可能ではありませんよ。『学び合い』とは見えない『学び合い』がありますから)。少なくとも、『学び合い』をやることを反対しなければいいのです。
成否の第一ポイントは、校内でそれなりに認められた中堅教師を含む3人が『学び合い』を良いものだと分かっていることです。3人が「やりたい」と言っていた場合、それをつぶすのは難しいと思います。ようは3人で実践して、成果を出せばいいのです。たやすいはずです。『学び合い』ステップアップに書いたとおりのことをやれば、人間関係の改善は比較的短期間に確実に『学び合い』は結果を出せます。3ヶ月もやれば、学力向上も成果が見えるはずです(抜群かどうかは分かりませんが)。なによりも、今までも穏やかな気持ちで授業を出来るあなたの雰囲気が変わるはずです。そうなれば、興味を持つ人も出ます。そうしたら『学び合い』ステップアップに書いたように、合同『学び合い』をすればいいだけのことです。
以上が成功するか否かは、周りの同僚と健全な人間関係を維持できるか否かです。そして、周りの同僚の仕事を積極的に手伝いましょう。出来るはずです。『学び合い』をしていれば時間に余裕が生まれるはずですから。とりあえずは『学び合い』のことで突っ込んだ話はしない方がいいと思います。
さて、次の段階になり、『学び合い』を学校全体で取り組もうという段階に進んだときのポイントです。それは『学び合い』を目的としないでください。同僚に『学び合い』を実践することを強いないでください。『学び合い』は教師の心で行う教育です。やる気のない人にテクニックを伝えてもおそらく失敗します。だって、失敗したくてしょうがないのですから。そして「ほら、私の言ったようにと言いたいのですから」、その気持ちをクラスの子供は分かっているから。
では、何を研修のテーマとするか、それは「一人も例外なく最低学力を保証する」ということが一倍良いと思います。おそらく、それに反対する職員はいないはずです。ただ、このままだと曖昧な学力のままです。そこで「教科で学ぶべきものは様々ありますが、まずはテストで示される点数で学力を評価しましょう。それ以上のものはありますが、テストで計れる程度のものを全員が獲得した後に、それらを狙える環境が整うと思います」と言えば、通ると思います。
ただ、注意があります。平均値ではなく、基準点以下の子どもが何人かということで評価するのです。小学校の業者テストの場合は期待得点を基準点とすればいいはずです。中高であるならば、「すべての生徒が学ぶべき最低学力を持っているならば80点をとれるテストを作りましょう」と申し合わせて、80点を基準点にすればいいのです。
おそらく平均値を上げる指導は今までの授業でも出来ます。どうやるかと言えば、おおよそ中位の子どもにターゲットを当てた「良い指導」をすればいいのです。しかし、その場合は下位層の子どもは取り残され、得点分布は広がります。ひどいときにはフタコブラクダになってしまいます。
では、最低点を今までの授業であげようとした場合、出来るのは最下層の子どもを残して個別指導すると言うことしかありません。しかし、最下層の子どもに個別指導をする場合、2、3人が限界です。結果として、その2、3人は点数を上げることが出来ても、それ以外の最下層の子どもの点数は上がりません。そこで次のテストの前に、上がらなかった2、3人を残して個別指導をすれば、その子は上がりますが、個別指導を受けられない子どもは下がります。まるでモグラたたきのようです。これが多くの教師が多くの時間を指導に費やしても成果につながらなかった理由です。
結局、最下層も中位層も上位層も成績を上げることは出来るのは、みんなでみんなを支える『学び合い』しかありえません。そして、その結果は明確に出てきます。その結果をみれば分かる人は分かります(分かりたくない人は、分かりません。でも、しばらくほっておきましょう。本当は分かっているのですから)。
以上2点を守れば、学校での『学び合い』は成立します。
■ [大事なこと]反対者
息子は放送プロジェクト(放送委員会)のプロ長をやっています。私にそっくりの息子の性格から言って、絶対にプロ長は向いていないと思ったので諦めるように勧めました。しかし、息子は絶対にやると言い張り、そしてプロ長に選出されました。
私の思った通り、マイペースで人の気持ちをくみ取れない私と同じ性格に起因する軋轢が生じています。それを息子が悩んでいます。息子が悩むのは可哀想だけど、息子とぶつかっている子どもに対しても同情してしまうのです。
しかし、息子があんまり落ち込むので、昨日は本来は9時に就寝なのにも関わらず、10時15分まで話しをせがまれました。そこで語ったことです。
『何かを成そうと思えば、自分を非難する人が生まれるのは当然だよ。それが嫌だったら先頭を走るのではなく、伴走をする程度にした方が良い。だからプロ長はやめろと言ったんだ。そしてプロ長になったらどんなことが起こるかを言ったはずだ。でも、やりたいと言ったのでプロ長になったんだろう。なってみたらお父さんが言った通りになった。ではどうするか。自分を非難する人がいると、みんなが自分を非難しているように思えるが、そんなことはない。何でも2、6、2の割合になる。プロジェクトの人の人数の2割程度の数がお前に積極的に反対する人だよね。(息子はうなずく)それだったら普通だよ。でも目を転じれば、2割の人はおまえを指示している。そして過半数の人は支持もしないし非難もしない。これは構造の問題だ。おまえがどんなに素晴らしいプロ長になってもこれは変わらない。非難する人を恨むんじゃない。その人の枠組みではお前を理解できないのだよ。聞き流しなさい。その代わり、お前を支持する2割を意識しなさい。そして、全体に向かって全体が成立する目標を語りなさい。
ちなみに、今度インターネットでお父さんの名前や『学び合い』で検索してみなさい、お前の数千倍の人から、数万倍ひどいことを言われているよ。私はそれを読まないし、反論もしない。生産的ではないからね。そんなことより、自分のやるべきことを考える方が意味がある。』