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2012-10-26

[]神奈川の会 07:13 神奈川の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 神奈川の会 - 西川純のメモ 神奈川の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 10月27日に神奈川の会があります。http://goo.gl/Tn4aI

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 『学び合い』を実践している学校を参観するとき「も」、一時間で数十のクラスを見回ります。そして、『学び合い』が腑に落ちている人、腑に落ちたいと願ってもがいている人、『学び合い』を拒否する人に分類する人に分類します。管理職に見せると、それがかなりあたっているのでビックリされます。しかし、種明かしをすれば簡単な話です。

 ま、一番わかりやすいのは、私をにらみつける人です。きっと心の中で「こいつが、バカげた授業を言い出したやつだな。」と思っているのでしょう。

 私は十数秒だけクラスの中を見ながら全クラスを駆け足で見て回ります。そして、何周もします。私がまず見るのは「さあ、どうぞ」と子ども達に任せるまでの時間です。短い人は数十秒ですが、ま、5分以内で任せられたとしたらOKです。つまり、1周目、2周目で子どもが動き出していたらOKということです。説明が長くなる理由は、子どもを信じ切れないからです。その理由は、個々の駄目な子に目が行く一方、子どもを集団として捉え動かそうということが理解されていないということです。説明が10分~15分ぐらいであれば「腑に落ちたいと願っている人」で、15分以上の方は『学び合い』を拒否する人です。15分以上の説明する人は、ほぼ100%、まとめの時間を15分以上される方です。『学び合い』を話し合い活動にしようとしている方です。

 次に見るのは、子どもが自由になっているときの教師の立ち位置です。子どもを信じられていないと、机間巡視ではずっと子どものノートをチェックし続けます。そして、子どもに分かっているかをチェックします。そして、やがて教え始めます。

 次の段階は、特定の子どもだけをチェックします。『学び合い』でたいていの子どもは学習を継続することが分かると、そのクラスのダメだと思う子をチェックするのです。

 しかし、そのようなダメな子をいじくっても無駄だと言うことが分かり、可視化の意味が分かると、そのクラスのよい子の近くで、わざと子ども達の関わりを促す発言をします。

 それがさらに進むと、クラスの文化になります。そうなるとあまり動き回らず、クラス全体をぼーっとみるようになります。意図的な可視化の言葉ではなく、その教師のボディランゲージが子ども達に伝わる段階です。クラスの中でポイントとなる行動はいつどこであるか分かりません。その行動を可視化し、価値づけることが必要になります。だから、全体を見回す時間が長くなります。

 次に見るのは子ども達です。小学校高学年以上で男女間で教え、教えられる関係が見えていれば『学び合い』が定着している証拠です。

 ということが分かれば、私が十数秒の観察を数回やれば分類できるのは当然ですよね。

 なお、クラスをじっくり見ることがあります。例えば遠方の学校の先生から授業の様子を見てほしいとDVDを送られることがあります。その場合の視点も、ほぼ上記の通りです。ただ、じっくり見る場合は、もう少し詳しく見ることが出来ます。

 まずは課題がシャープになっているかどうかです。また、まとめの際の語りが、その日の課題の内容を語っているか、その日の学び方を語っているかを見ます。そして、そのクラスの中で『学び合い』の中心となっている子がどのような動きをするかを見ます。「あと、何分しかない」、「○○さんがまだ出来ていない」という声を発する子、名票をチェックして出来ていないこのところに行く子、以上のようにクラス全体を俯瞰できる子が何人いるかを見ます。これがクラスの2割以上いれば、素晴らしいクラスと言うことになります。

 ということで、これまたクラス全体を俯瞰する位置での映像で分かるものばかりです。

 が、旧来の習慣に則ったビデオを送られると困ります。つまり、子ども達に近づいて、子ども達がどんな会話をしているかを克明に記録しているビデオです。私は個々の子どもの詳細を見ているのではなく、クラスや教師を集団としてみているからです。