■ [ゼミ]学会発表
我がゼミでは、学部4年に1度学会発表することになっています。さらに、大学院の場合は、修士1年の冬に1回、修士2年に2回の計三回の学会発表することになっています。「学会発表なんて出来るのだろうか?」と最初はびびりますが、我がゼミに入れば自然に出来るようになります。
といっても私が手取り足取り教えることはしません。学会発表に関しては私は全くノータッチです。しかし、見事なレベルにまでゼミ生は成長します。本日も、私のことをよく知っている方から「先生のゼミは、あの学会発表の指導を先生は何もしていないんですよね?」と聞かれたので、「はい」と応えました。その先生はゼミ生の発表のクオリティの高さを褒めていました。このクオリティの秘密は二つです。
第一には、私の指導するようなことの95%は「実証的教育研究の技法」という本の中に書いています。我がゼミで「名著」と言う場合は、他の本を差し置いてこの本のことを指します。とにかく、学術研究のノウハウのほとんどを書いた本です。ですので、この本を何度も読み直せば研究が出来るようになります。
しかし、本に書ききれないものがあります。いわゆる秘伝みたいなものです。これはゼミ集団の中にあります。私が何も言わなくても、ゼミ生が自主的に学会発表の準備を始め、プレ発表会を開き、互いのレジュメをチェックし合います。しかし、これって全国大会の常連校だったら当然ですよね。どの時期に、何をしなければならない、ということの文化が部活の中にあれば、顧問がごちゃごちゃ言う必要はありません。
我がゼミは多くの学術研究とは違い、また、実践研究とも違います。学術研究と実践研究の往還があるというレベルではなく、表裏一体と言うべき姿です。それに慣れてしまえば、いわゆる学術研究がもの足らなくなります。同時に、いわゆる実践研究ももの足らなくなります。しかし、我々と違った立ち位置の研究を見ることは、自らの立ち位置を理解するにはとても大事なことです。だから、役に立つとか参考になることがなくても参加し、見る必要があるのです。
我々は節目節目がないと、だらだらと先延ばしにしてしまいます。しかし、学会発表をするということがあるため、節目節目でその時点での結果をまとめ吟味する必要が出てきます。これがあることによって、最後にひずみを起こさずにまとめることが出来ます。
一般の人は多くの人の前で話す能力の獲得は必須ではありません。しかし、教師の場合は、それは重要な能力です。我がゼミ生は教師になろうとする人たちの集団です。だから、これを課す必要があるのです。これは学卒院生ばかりではなく、十年以上の経験がある現職院生も同じです。案外、学校の先生は事実に基づいて論理的に話すというトレーニングを受けていません。端的な例ですが、各学校の研究発表の研究主任の発表で、論理的で実証的な事例は本当に少ないです。あれを根拠を明示し、プレゼンを吟味すれば、インパクトは大きいはずです。
学会発表は部活の遠征みたいなものです。遠征は重要ですが、そこまでの行き帰り、夜の懇親会にも意味があります。というより、私が院生時代には「夜の懇親会で飲むために発表するんだ」と教えられたぐらいです。
我がゼミは大学に籍を置いています。大学では学術の実績が無ければ、他の実績が無ければ潰される危険性があります。我がゼミは常に学術の成果を高いレベルで出し続けた集団です。だから、そちらの方向からの後ろ指が指されませんでした。
というもろもろの意味がありますが、今回の学会発表はいずれにおいてもパーフェクトな結果だと満足しています。ま、それにしても指導教員バカかも知れませんが、ゼミ生達は惚れ惚れとするほど優秀な集団だと思います。