■ [大事なこと]目標と評価
朝、ホテルでニュースを見ていたら法科大学院のことが紹介されています。法科大学院の問題点、そりゃ、簡単に言えば合格率が低いことです。それに対して、法科大学院の教授がいろいろ言っていましたが、本当のところは言っていないのが分かります。教職大学院の教師である私は、かわいそうに、と同情するしかありません。
法科大学院の合格率が上がらない原因、そりゃ、目標と評価が一致していないのです。
法科大学院も教職大学院も「あるべき職能」を想定し、授業内容から授業方法までびったりと規定されています。二十年間、大学人として過ごしている私にとって、それはまるで小中高の規定のようです。本当に細かい。ま、しょうがありません、大学人に任せたらとんでもないことになる、と思われてもしょうがないことを今までの教員養成ではしていましたから。例えば、某大学の学生が文部科学省に訴えました。内容はその大学の教科教育学の授業についてです。
教科教育学は独立した学として成立したのは比較的若い学問です。その専門家は昔はそれほどいませんでした。その結果、当初は教科専門の先生の中で教育に関心と意欲の高い先生が担当しました。しかし、それがずっと続いている大学もあります。つまり、教科専門では教授になれない人が、教科教育学を担当するならば教授にしてやる、という条件で教科教育学を担当するということもありました。そんな風になったひとは心の中で納得しているわけではありません。その某大学の某教授は、その担当する教科教育学の講義の最初に「私は教科教育学は意味はないと思っている。そのため、今から○○学の授業をする」と宣言し、教科教育学を教えなかったそうです。こんなことが文部科学省に訴えられたら、大学に任せられないと思われてもしようがありません。
司法や教育に願いを持った人たちが集まり、あるべき職能を議論してつくられた教育内容や教育方法は、大学人個人の思いつきよりは蓋然性は高いと思います。が、問題は評価です。そのような教育を受けた人が評価されるのは、司法試験であり、教員採用試験なのです。ところが、その試験と法科大学院の教育内容と必ずしも一致していないのが合格率の低さの最大の原因です。
当然、法科大学院の中にはそのようなことに対応し、教育内容を司法試験に一致した受験対策を入れようとするところもあります。が、それに対して文部科学省は法科大学院の規定に基づき、それはだめ、と指導することになります。法科大学院の先生方は「じゃあ、どうすればいいんだよ」と言いたいと思います。
教職大学院も似たような問題を抱えています。教職大学院の教育内容はよりよい教師に必要な内容を網羅的に含めています。授業方法もマスプロ、座学を禁止し、対話を重視し実践を重視した内容です。が、教員採用試験で出されるのはそれとは違います。
かつて大分で情実で採用した事件がありました。その事件以降、特に、都道府県では客観性を大事にします。しかし、相対的に妥当性は犠牲にしなければならなくなります。結果として一次試験は大学入試に似たような問題にならざるを得ません。つまり規定されているカリキュラムとテストが一致しません。
しかし、幸い法科大学院と違って教職大学院のいいところがあります。現在、教職大学院の修了生に対して、ペーパーテストの一次試験を免除する都道府県があります。そして、その数はどんどん増えています。課されるのは面接と実技です。これだったら教職大学院の修了生は圧倒的に有利です。3週間程度の教育実習とは実習の質と量が段違いに違います。また、講義の内容も面接と実技にフィットする内容です。つまり目標と評価が一致しています。
もちろん、大学入試のような試験を課す都道府県もあります。しかし、それでも、まだましです。というのは臨時採用で授業をしながら受験する人の場合、受験勉強する人は受験勉強をする暇がありません。そのため、面接と実技に行く前のペーパーテストで落とされてしまうのです。その点、教職大学院の場合は相対的に受験勉強にエネルギーを費やせます。特に上越教育大学のカリキュラムでは修士1年の1月から修士2年の8月まで、全くフリーにする、つまり受験に専念できるようになっているのです。