■ [ゼミ]一斉指導も
ゼミ生から聞いたことです。面接試験の時、面接官の人から「西川研究室ですか?」と言われてドキリとしたそうです。もちろんゼミ生は『学び合い』のことを喋ったわけではありません。せいぜい「一人も見捨てたくない」というあたりを言ったかも知れない、とそのゼミ生は言っていました。
上越教育大学教職大学院出身であることは受験書類に書いてあります、しかし、ゼミ関係のことは書いてありません。それで見破られるということは『学び合い』のことをかなり知っている方と思います。
この文章をお読みになる方には面接官になっているかたも、これからなろうとする方もおられると思います。ゼミ生のために以下を書きます。
私の研究室のゼミ生は一斉指導のかなりのレベルの授業が出来ます。これに関しては確信があります。第一に上越教育大学教職大学院のスタッフです。当然ながらほとんどは一斉指導のオーソリティです。素晴らしい教師です。その人達から教えてもらっています。第二に本学教職大学院のカリキュラムが実践的で協働を大事にしている点です。
そのような他に、我がゼミ生は二つのことを徹底的に学んでいます。第一に、子どもを見る目です。つまらなそうにしている子ども、分からなそうにしている子どもが、嫌でも目に入るようにしています。全ての授業改善はそこから出発します。我がゼミ生は全ての子どもの全てのつぶやきをICレコーダーとビデオで記録し、それを丹念に分析するという膨大な作業をしています。そのため、目の前にいる子どもをちらりと一瞥するだけで、その裏で何が起こっているかを知ることが出来ます。これは教卓から見ているだけでは三十年かかっても出来ないことです。これを二十代前半の学生が出来るようにしています。
そのような学生は一斉指導に関わる様々な勉強をしています。そして研修会に参加します。私自身、TOSSをはじめとする様々な研修団体に参加することをゼミ生に奨励しています。
第二に、折り合いです。本学教職大学院の教育実習はかなり革新的な実習です。それは現職教員と学卒院先生がチームとなって、現場学校に入ります。そして、単なる授業をする実習ではなく、その学校の課題を一緒に解決するチームになるのです。わかりやすいのは忘年会に当然のようによばれるような関係を結ぶのです。時には、その学校の先生方がよばれないPTAの飲み会にも誘われる関係を結ぶのです。そして、その過程の中で、学卒院生は三十代、四十代の教員とのつきあい方を学びます。その関係は教師と生徒という関係でもなく、上司と部下という関係でもなく、仲の良い先輩と後輩の関係を結びます。
そして、我々のゼミ生は「新興宗教」と揶揄される『学び合い』の研究室のゼミ生として各学校に入ります。当然、疑問を持たれる先生もいらっしゃる。その方々からは、最初は色眼鏡で見られます。当然のことです。私はゼミ生に「『学び合い』を嫌われても良い、しかし、君らの人を信じてもらえるようにしなさい」と求めます。そして、そのことを実現しています。
授業改善をし続ける教師、そして、職場の人と折り合いをつけられる教師です。つまり、即戦力の教師です。そして一斉指導をやれと言われれば、当然、一定以上のことは出来ます。
ということで、全国の教育委員会、学校の方々へ。御県、御学校の課題は何であり、即戦力として使える若手教員としてゼミ生を推薦します。本当に自慢のゼミ生なんです。
■ [お誘い]群馬の会
フォーラムの次に開催され、開催しつつけている会は群馬の会です。2013年の開催の日程が決まりました。お誘いします。http://goo.gl/BBDit
■ [大事なこと]守破離
何度も書きましたが、物事を学ぶ段階には守破離というものがあります。まずは守の段階が必要です。我流ではなく、先人の見いだした型を素直になぞる段階です。この段階で我流を出せば学ぶことは出来ません。
次は破の段階です。先人の型にとらわれず、自分に合わせた型を見いだす段階です。この段階でそのコアの部分が何かということがわかり、それが内在化すれば離の段階に至ります。つまり、コアの部分が分かれば、守でやっていたこと、そして破で生み出そうとしていたものが実は違いが無いことに気づきます。
先人が生み出した型も、自らが生み出した型もどちらも意識せず、コアの部分に基づき考え、行動することが出来ます。
『学び合い』は考え方だと繰り返します。一人も見捨てたくないという願いと、それを実現するための学校観、子ども観です。3つとも書けば1行で収まるものです。しかし、それは古典物理学がF=mαという至極単純な式を3次元に拡張し、微分、積分すれば古典物理学の公式がほとんど導かれると同様に上記の願いと考え方は強力なのです。
残念ながら、『学び合い』のコアの部分を考え方ではなく、教え方だと考えてしまうと離の段階で本当に『学び合い』ではなくなります。つまり、一人も見捨てたくないという部分が弱くなってしまいます。
しかし、今の段階でそれを全ての人に求めても無理です。文化は人の間にあるものですから。分かってくれる人を増やさねば。でも、一定数は必ず必要です。広げること、深めること、両方とも必要です。
■ [大事なこと]管理者
易きに流れるのは人の性です。
私は叱りません、怒りません。大抵はバカなことを言って笑っています。しかし、私のゼミ生への圧力は強大です。ゼミ生は夢の中で私を見るそうです。しかし、その姿はニコニコ笑っている私の姿です。しかし、それはとても怖いそうです。何故でしょう。
私はゼミ生に、ゼミ生にとって得だと確信していることしか求めていません。ゼミ生もそれが得だということが分かっているので、馬車馬のようにやります。私はゼミ生に「それをするかしないかはあなたにとって意味があるので、私の人生には関係ない」と言い切ります。そう言い切れるだけ、そのことはゼミ生の人生にとって意味があると私は確信しています。
しかし、易きに流れるは人の性です。私の管理下を離れれば、何が得であるかをさておいて、直近の易きに流れてしまいます。でも、私だってそうです。だから、多くの人と繋がることによって、自らの志を腐らせないようにしています。そして、可愛い教え子を守るためには、一人も見捨てない、という文化を広げるしかないのだと思います。
それは小学校、中学校、高校、高等専門学校の同志の方も同じだと思うのです。