■ [大事なこと]違い
『学び合い』で「一人も見捨てない」と主張しても、多くの人は「福祉」を連想すると思います。つまり、苦しんでいる人を救うというイメージです。そして、「結局は無理だよな~」と思います。何故なら、現実社会ではそれが無理ですから。
確かに今の社会では「一人も見捨てない」は無理です。しかし、『学び合い』では実現できます。では何故でしょうか?
今の社会で「一人も見捨てない」と言った場合、予算の配分で実現しようと思っています。しかし、有限の予算を誰かに配分することは、誰かから奪うしかないのです。これでは「一人も見捨てない」は絶対に実現できません。
『学び合い』だって、誰かを教えれば、自分の成績が下がるという状態だったら、続くわけありません。また、「○○さんは○○という障害があるから、点数を○点上乗せします」と言ったら、「何でだよ~」という声が上がるに決まっています。
『学び合い』では、誰かを教えれば、それによって自分の成績が上がることを実感できます。さらに、成績だけに注目するのではなく、クラスの居心地の良さや将来においてのメリットに着目させます。そして、成績はテストの点数で決めます。決して学び合ったか否かで点数を加えたり、削ったりはしません。何故なら、『学び合い』で実現したいのは点数という「ちんけ」なものではないからです。
では、どのような社会が『学び合い』なのでしょうか?
まず、基本的に生活補助はしません。その代わりに、周りの人たちが各人に合った仕事を見つけます。そしていっしょになって仕事をします。色々な人が関わることによって、新たな産業が生まれます。色々な人が関わることによって、お金をかけずに子育てが出来ます。色々な人が関わることによって、お金をかけずに楽しめます。それぞれの人の能力によって収入は天と地ほどの差が出来るかも知れません。しかし、収入が人の幸せを決めるわけではないことを、みんなが知っている社会です。その代わりに、人との関わり、そして、その関わりにおける行動によって得られる「尊敬」こそが人の幸せに繋がることを文化としている社会です。
そんなことを学校教育で育てたいのです。
福祉や被災者支援が「予算」で主に議論されている現状に、正直、うんざりしています。有限のパイを奪い合っている限り、絶対に一人も見捨てないなんて無理ですから。
追伸 きっと、そんなことを言ったって「予算」がなければ何も動かない、という人がいるでしょうね。それは「人」を信じていないのです。それは競争させねば子どもは勉強しないと思っている教師と同じです。