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2013-02-19

[]学校観 06:50 学校観 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学校観 - 西川純のメモ 学校観 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』には学校観、子ども観、授業観の三つがあります。成立の過程を考えると、最初に、授業観があり、次に子ども観があり、最後に学校観が成立し、『学び合い』の理論が完結しました。

 私も普通の教師で、普通の研究者でした。だから、教師がこれこれをしました、という枠組みで授業改善を組み立てていました。ところが、認知心理学の研究を教科教育に適用する研究を積み上げてみると、それでは絶対に全員分からせることが出来ないことが分かりました。そこで、子ども主体の授業改善を模索し始めました。

 今まで教師の仕事だと思い込んでいたことを、子どもに任せ、その結果を詳細に記録、分析しました。今までの教育研究が、加える過程だったのに関して、私のやったのは、ギリギリまで削る過程です。その結果、形成されたのが授業観です。

 その授業観を推し進めるためには、子どもは有能であるという子どもが観が必要です。これは授業観を形成する過程で、子どもの姿を分析する結果生まれたものです。記録された子どもの姿を分析すると、教師には思いもつかないことを実現する子どもの姿が現れてきます。しかし、一人一人のやっていることはごくごく普通のこと。でも、それが集団となると凄いことをやらかします。長い間、授業観と子ども観が両輪となって『学び合い』は進化しました。

 『学び合い』が成立し、どんどん教師のやっていたことを削り、子どもに任せていくと、子ども達はどんどん凄いことを実現します。日々、目から鱗が落ちる連続です。しかし平成15年ぐらいから、それだけではやっていられなくなったのです。

 原因は、知的な障害がある子など、能力的に著しく困難のある子です。そのような子がいると、当時の『学び合い』ではうまくいかないのです。みんなが関わって、みんなで乗り越えようとしても、どうしてもそれを乗り越えられない。それでも教師が求めると、子どもが暗くなる。そして、その姿を見て教師も暗くなる。耐えられなくなって、全員達成を弱めると集団が崩れるということが起こります。

 そこから模索が始まりました。平成17年頃から、徐々に「一人も見捨てない」ということを意味をちゃんと語るべきであることを自覚し始めました。平成18年時点では、「一人を見捨てる集団は、二人目、三人目を捨てる」というレベルから出発しました。

 平成17年3月に公開した奥義書(現在の手引き書の前身)の改訂の度に、それを洗練して整理しましました。結果として、「一人を見捨てないことは徳ではなく得」であり、それはホモサピエンスの基本的な本能であるということに落ち着きました。それが現在の学校観です。そして、それは『学び合い』の本として最初に出した「学び合う教室」に既に方向性はハッキリとしていました。

 全ての人は授業観から入ります。そりゃそうです。剣道を学び始めた人に「剣は心だ」と言われても意味不明です。まずは素振りです。

 でも、子ども観が腑に落ちていないと、何か問題が起こったとき、それを子どもに返すというゴールデンルールが徹底できません。教師一人が悩み、教師一人が手立てを考えます。たいていの場合は、従来の方法との足して二で割る『学び合い』もどきになってしまいます。でも、それでは問題を解決できません。そこで、子ども観に戻るか、従来型にもどるか、大きな岐路です。

 どちらになるかは、「一人も見捨てたくない」という思いの強さです。「相対的によく見える」、「とりあえず、現状の問題を解決できる」のでしたら従来型が「まし」に見えることはあり得ます。でも、従来型では見捨てられている子どもが生まれます。

 次の岐路は、能力的に低い子どものクラスを持った場合です。知的ばかりではなく、情緒的にも障害がある子を担任するのは難儀です。そのような集団に全員達成を求めることは相当に覚悟が必要です。それを乗り越えるには「一人も見捨てないことは徳ではなく得」ということを本当に納得しているかです。それさえあれば、踏ん張れるし、語れます。ちゃんと語れば、2割の子どもは納得し、動いてくれます。

 この学校観が分かれば、『学び合い』のテクニックを捨てることが出来ます。融通無碍に従来型のテクニックを利用し、それが『学び合い』に矛盾しません。同時に、今まで積み上げられ洗練された『学び合い』のテクニックが、『学び合い』の考え方を実現するために非常に効率が良く、安定していることが分かるので、基本的にそれを元に授業を展開するようになります。

 全国の『学び合い』を実践している方は、以上の二十年弱の『学び合い』の成立史を追体験しているように思います。生物学を専攻した私は、「個体発生は系統発生を繰り返す」というヘッケルの反復説を思い出します。

 が、以上は教師「個人」として記述しています。それは、現状の『学び合い』を実践している人の多くは職場で「一人」で実践している。その中で、踏ん張れるのは大変です。かくゆう私も、何故踏ん張れるかと言えば、西川ゼミが身近にいて、全国の仲間と繋がっているからです。安定して、子ども観と学校観を乗り越えるために、ネットワークを創らねばと思うのです。