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2013-02-23

[]悪夢 09:35 悪夢 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 悪夢 - 西川純のメモ 悪夢 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 先に書いた悪夢を具体的に書いてみます。

 現在、教師が手を焼いている子は、ありがたいことに反社会的な行動をしてくれます。そのため、「教師は正義」、「反抗する子どもは悪」という図式が出来上がります。また、現状では「点数が高い=偉い、点数が低い=ダメ」という図式が社会で出来上がっているので、学力下位層が反抗しても、「教師は正義」、「反抗する子どもは悪」という図式が成り立ちます。

 しかし、学力の上位層の子どもが、礼儀正しく、正論を述べたらどうでしょうか?

 例えば小学校教師は全教科担当です。しかし、全教科が全て得意だと言うことは無いと思います。漢字の書き順が不得意な人もいるでしょう。ピアノが不得意で、CDで済ましているでしょう。これは中学校の教師だって同じです。私は中学校理科の教員免許状を持っていますが、安山岩や玄武岩を見分けることは出来ません。

 また、授業中の気楽な話の中で失言しない教師がいるでしょうか?国会議員だって、失言の連続なのです。

 また、教師の思い入れの結果、学習指導要領を逸脱していることもあるでしょう。逆に、年度末の「平和な国、日本」をやったことにしている人もいるでしょう。

 もし、複数の学力上位層の子どもが毎日の授業を事細かに記録したとしたらどうでしょうか?一部は、ICレコーダーを利用するのです。それらをまとめ、保護者に相談します。そして、保護者がその具体的データを携えて、「指導力不足であるので担当を変えて欲しい」と求めるのです。それでらちが明かない場合は、教育委員会に申し出るのです。勝てる勝負ですので、いきり立つ必要はありません。きわめて冷静に、紳士的に申し入れるのです。

 おそらく学校側は「学校として指導体制を整えるので時間を与えて欲しい」と反応するでしょう。そこで、きわめて冷静に、紳士的に引き下がるのです。そして、複数の学力上位層の子どもが毎日の授業を事細かに記録にし続けるのです。そして、それをインターネット上で発信し続けたらどうでしょうか?そして、学校側に再度申し入れるのです。

 さて、このような攻撃に耐えられる教師が日本中のどれほどいるでしょうか?学校で一人だったら、とりあえず担任を外すという方法もあり得るでしょう。しかし、学校の半数以上の教師が上記の攻撃を受けたらどうなるでしょうか?

 攻撃の対象は教師とは限りません。もし、授業時間数を細かく記録している子どもがいたらどうでしょうか?加配当教員の運用を細かく記録している子どもがいたらどうでしょう?校則の法的根拠を弁護士の保護者に相談する子どもがいたらどうでしょう?

 とても、怖いでしょ。

 繰り返します。反抗している子ども反社会的な行動をしているレベルより、社会的な行動をし始めたときが恐ろしいのです。

 私は現状の学校制度は前近代的だと思っています。大甘に見ても、啓蒙君主の社会のようです。それに対して、非暴力で論理的な反乱が起こったら・・・・。時代の必然だと思うのです。

[]陶冶価値 09:06 陶冶価値 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 陶冶価値 - 西川純のメモ 陶冶価値 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大学で生物学を専攻しました。そこで感激したことを三つあげろと言われれば、第一に動物系統分類学のレポートです。何でも良いから1日、動物を観察しなさいという課題です。私は下宿のクモをじっと観察しました。じっと観察するだけで、色々なことが分かります。第二は、大学3年の冬に下田の臨海実習センターで、ウニの初期発生を三日間徹夜で観察したことです。発生学の本で見るのとは違いました。第三は、卒業研究で生物物理学で学んだことです。ゴチャゴチャとした生物現象を大胆に単純なモデルにすることによって、現象が見えてくることを学びました。三十年経っても、その感激を忘れません。

 が、それを万人すべからく学ぶものとは思っていません。

 私のように感激できる人もいますが、出来ない人もいます。それで良いと思います。そして、仮に感激できる人であっても、与えられた時間は有限です。もし、全ての教科の先生が、自分の感激を元に、子ども達に求めたら、子どもがアップアップしてしまいます。どうも、そのあたりが分かる教師は多くはない。

 万人すべからく学ぶべきものは何か?

 それは教育基本法の第1条に書いてあります。つまり「人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成」なのです。自分が教えていることが、上記にどう関係するかを説明できなければなりません。ただし、注意は、それは一般の人に説明できなければならないのです。つまり、その教科が大好きな人達が集まって、マスターベーションしているような話し合いではダメだと言うことです。

 おそらく、その教科の内容レベルのことを説得することは不可能だと思います。ちなみに私は理科教育学会から学会賞をいただいた数少ない人間の一人ですが、理科が大嫌いな家内に理科で学ぶ内容レベルのことに関して説得できません。

 自分の教えていることに関して、一般国民に説明し「人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成」であると「納得」してもらえる説明が出来る教師がどれほどいるでしょうか?残念ながら、その必要性を感じていない人が多いと思います。

 与えられた教科書をとりあえず教えて、それに従ってくれるふりをしている子どもの前ではそれでも気にせずにいられます。でも、そうでなくなったとき、何のために学ぶのかを言えない教師は潰れるでしょう。

 私にはある悪夢があります。

 現状の教師が手を焼いている子は、特別支援の必要な子や学力下位層の子ども達です。でも、本当に大変なのは学力上位層の子どもが教師に反乱したときです。その論が正しいとしたらどうでしょうか?教育基本法や学習指導要領、はては中央教育審議会の答申を読むような子が生まれたら。教育関連法規を読むような子が生まれたら。そして、それをもとに正当なプロセスを踏んで、要求してきたら。校則に関して訴訟を起こされたら。笑い話ではなく、そういう時代はやがて来る。そして、意外にも早いかも知れません。新刊書の「7つのルール」に書いたとおり、学級崩壊はその前兆なのです。

[]戸北先生の会 06:15 戸北先生の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 戸北先生の会 - 西川純のメモ 戸北先生の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は上司にめちゃくちゃ恵まれていたと思います。私が助手時代の根本先生を皮切りに、歴代の学長にも可愛がってもらった。でも、期間も長いし、話し合った時間も長いのは戸北先生だと思います。なにしろ、副学長や理事になって管理棟に移動する前は、毎日、かかさず2時間は話し合っていたと思います。26年間お仕えしましたが、一度たりとも陰口を言ったことはありません。批判めいたことが頭をよぎったこともありません。本当に恵まれていた。本当にいい人です。

 その戸北先生が本年度をもって常勤としてはご退職になります。ま、七十才を超えているのですから、しょうがないのですが、残念です。本日は、OB,OGを中心としたご退職を祝う会があります。懐かしい顔がいっぱいだと思います。

 私が上越教育大学にお世話になり続ける理由は二つです。第一は、よき上司がいらっしゃること。これは今年度で終わりです。第二は、現職教員といっしょになって臨床的研究が出来ること。しかし、『学び合い』が広がるにつれ、どこに行っても私は出来ると思います。なんか、自分のアイデンティティーがフェードアウトするような気がします。

追伸 以上のことを書くと、西川先生は異動されるのですか、という質問が来そうなので書きます。第三の理由は、私を引き取ってくれるような心の広い大学はそうはない、ということです。あはははは