■ [ゼミ]名言
本日の、「いじけた」メモに対して、ゼミ生から言われたこと。「あのゼミは、みんな○先生のようになりたいと思っている人のゼミ。うちは、“誰一人として”西川先生みたいになりたいとは思っていません」(誰一人の部分に力が入っていました)と言われました。『学び合い』として至極納得するのですが、傷口に辛子を塗られた気分です。
うん、そうだよな~。でも、うらやましいよな~
■ [ゼミ]講演
私の友人の中でフルトベングラーという指揮者の大ファンがいました。その中でもベートーベンの第三交響曲「英雄」が大好きでした。フルトベングラーはこの交響曲を得意として、何種類の録音があります。その友人は、英雄を聞くと直ぐに、何年のどこでの演奏であるかを判別出来るのです。私でも英雄を聞けば、それがフルトベングラーであるか、ベームであるか、ワルターであるか、カラヤンであるか、バーンスタインであるかは分かります。かなりキャラの濃い指揮者ですから。しかし、同じ指揮者の録音の違いを判別は出来ません。
最近、フェイスブックを読んでいたら、本学教職大学院のあるゼミの人の書き込みに、その指導教員の講演を聴きに行き、感激したという書き込みがありました。そしてそのフォローの中に、私も行きたかった残念だ、という書き込みがありました。う~ん、と唸ってしまいました。というのは、私のゼミ生は私の講演を聴きに来ません。聞いたとしても、それは『学び合い』の実践校を参観したい、『学び合い』の会に参加したいが主目的で、私の講演は「ついで」に聞くスタンスです。
そこで、上記をゼミ生達に愚痴りました。ゼミ生は「普段、十分に聞いているから、聞く必要は無いのです」と言うのです。そこで、英雄交響曲のでも違うことを上記のように説明しました。私の講演の多くは、初めて『学び合い』の話を聞く人が大多数の人です。そのため、定番の講演があります。しかし、主催者からのお求めに応じて内容を加筆修正します。また、2時間の講演と1時間半の講演と1時間の講演では取捨選択が異なりますし、馬鹿話の入れ方も異なります。
私の定番講演を数十回聴いている方がおられます。その方の場合は、講演後に会うと、「今回は、これこれのところに手を入れましたね」と言われます。まるで英雄交響曲の好きな私の友人のようです。
私が、「大枚のお金をかけて私の講演を求めている、だから、エンターテー面と性を高めているから、落語の定番と同じだよ」と言うと、ゼミ生は「普段の先生の方が面白い」と言われます。
私が「でも、講演の時にはそれっぽい私が見られるよ」と言うと、ゼミ生は「それっぽいって、教授っぽいということですか?」と言います。ゼミ生は教授っぽい私には興味は無いようです。
ま、これはこれでいいのかもしれないけど、「講演を聴き、感激した」とゼミ生に言われたい私もいます。どこまでいっても、私の本質は非『学び合い』なのだと思います。ま、杜氏は酒飲みでは出来ないと言いますので、それはそれでいいのですが。