■ [大事なこと]崩壊のシナリオ
息子は中学校1年生です。ベネッセを使っています。本日はライブ授業の初日です。やるぞ、という気持ち満タンで、初回を受けました。家内と私は晩酌をしながら、息子の顔を見ました。やる気満々です。合間、合間に、「なるほど~」という独り言。
横目で見ましたが、力のある教師です。息子のような通信教材を受けて、やるぞ、という子どもにはフィットする内容です。声に力があり、表情も豊かです。また、教材もリアリティがあります。
それを見ながら、私の頭には「崩壊のシナリオ」がありありとみえました。
ライブ授業はベネッセの会員以外にもオープンです。ネット商法の基本、実は富山の置き薬と同じ商法です。ですが、これってベネッセだけが出来ることではありません。欧米では先進的な試みもありますが、本質的にはネット社会では時代遅れです。ベネッセのライブ授業の次は、学生さんや一般の先生がユーチューブにライブ授業をアップするのです。そして、子ども達が検索で授業を探し、自分にフィットする授業者を見いだすのです。
ここからは、おそらく多くの教師に不快になることを書きます。
さて、この状況において、現状の授業の教師が勝てるでしょうか?まず、無理です。それは一般の教師だけではありません。現状の名人教師、そして、きら星のような実践会の巨星の方も、その人が「凄い」と選んだ人は、「教師」です。つまり、現状の学校教育にフィットして、教科の深みを求める人たちなのです。
さて、一人一人の子どもが授業者を選ぶような状態になったらどうでしょうか?現状の教師ばかりではなく、巨星の方々も危うい。
私は二十六年間、学生さん達に選ばれる環境の中で生きています。小中高の先生方は、その熾烈さを理解していない。短期間ならば、打ち上げ花火で何とか出来ます。でも、数十年間、選ばれるという環境はなかなかきついですよ。さて、上記の状態になったとき、ごく普通の教師が生き残る道は何でしょうか?陳腐ですが、愛と思います。でも、その愛で子ども達を満足する道、それは教える能力ではなく、集団を管理する道、だと思うのです。
追伸 学校よりも先に、その厳しさを味合わねばならないのは、塾・予備校だと思います。
追伸2 『学び合い』だったら、どんな授業がライブ授業でアップしても大丈夫。ライブ授業では「一人も見捨てるな」を求めることは出来ません。なぜならば、評価と一体化できませんから。
■ [大事なこと]スタッフ
本学教職大学院の教育実習(学校支援フィールワーク)を他大学の先生、それも他大学の教職大学院の先生に説明してもなかなか分かってもらえません。そして、分かってもらうと、そんなことがなぜ出来るのかが分からないと言います。でも、そうだと思います。
たいていの大学、そして教職大学院の場合、研究スタッフと実践スタッフとが別れています。そして講義・研究は研究スタッフが担当し、教育実習は実践スタッフが担当します。ところが、本学の教育実習はそれらが融合しているのです。
ちょっと詳しく説明します。学校にはさまざまなグランドデザインがあります。それを本格的にやりたいが、専門知識やマンパワーが不足しているという学校があります。そのような学校が本学教職大学院に申し込みます。
一方、教職大学院はそれぞれ深めたい追求テーマがあります。そして、それを学会誌論文にまとめる人もいます。
本学の教育実習では、両者のニーズを調整しなければなりません。
現場経験が豊富であれば、学校のニーズを理解することは出来ます。また、学部での教育実習で起こる問題も経験済みです。従って、実践スタッフが担当できます。一方、研究をどのように進めるかであれば、研究スタッフが担当できます。しかし、実践スタッフが研究をどのように進めるかを指導することは出来ません。一方、大学で学級生活を続けた研究者スタッフに学校のニーズを理解することは出来ません。だから、多くの大学では、上記のように研究者スタッフと実践スタッフが分業しているのです。しかし、それでは本学教職大学院のスタッフは勤まりません。
だから、本学教職大学院のスタッフは学術研究の業績を持ち、かつ、実践の業績を持たねばなりません。それも、現職経験が何年です、どこかのセンターでの研修で講演しましたレベルだったら、派遣される現職院生さんだって持っています。そのような現職院生さに比べて抜群の実践の業績を持たねばなりません。
さらに言えば、専門が広くなければならないのです。例えば、理科教育だったら、物理だけの業績がある、化学だけの業績がある、では駄目です。なぜなら、学校のニーズは最小単位は教科です。教科の小分けの業績だけでは対応できません。そして、その広い範囲に関して、現場の先生がた、現職派遣院生さんに上回らなければなりません。こう考えれば、そのような業績を持つ人が日本中にほとんど無いことが明らかです。
それ故、本学の教育実習のことを他大学の先生にいくら説明しても、そんなこと出来るのかと言われます。しかし、それぐらいの独自性がなければ、本学のような大学が生き残ることは出来ません。なんとなく近くの大学だから、知名度が高いから、で選ばれるレベルでは成り立つことが出来ないのです。
この教育実習は担当教員にとっては非常に負担です。でも、それが成り立てば、ものすごい教育実習が出来ます。
我がゼミ生は、学校の忘年会には必ず呼ばれます。いや、その学校の先生が呼ばれないPTAの飲み会に呼ばれることもあります。学卒のゼミ生はある学校の先生を上越の母と呼び、上越の父と呼び、その先生はゼミ生を我が子と呼びます。その中で、学卒院生は年長者とのつきあい方を学びます。
現職院生は客観的に学校を見ることが出来、管理職と自由に学校改革に関して議論できます。また、若い学卒院生と一緒に学校改革を成し遂げる過程で、若い教師とのつきあい方を学びます。
本学教職大学院の基本コンセプトは協働力です。おそらく、今後の教師にとってもっとも必要な能力です。
*[大事なこと]流動性
私が大学入試の頃の花形職業と言えば、歯医者、弁護士、パイロットだと思います。この3つになれば、収入が凄い、という時代です。
数年前にある雑誌を読んでいたら、新潟県に関しては歯医者さんの収入はサラリーマン以下だそうです。たしかに、新潟に来てビックリしたのですが、予約なしで直ぐに見てもらえるのです。簡単に言えば過剰なのです。また、ある方から聞いたのですが、弁護士さんも同じ状況だそうです。航空業界の逆風でパイロットさんも苦労されていますよね。
それぞれの世代で、能力の高い方が進まれる職業が過剰であるというのは損失だと思います。
3つとも取得するのに大変な資格によって成り立っている職業です。そのため、一度資格を取れば、その資格で一生生きようとします。つまり流動性が低いのです。そのため、環境に順応しきれない。その資格を生かした、さまざまイノベーションが必要なのだと思います。ドラッカーは企業活動の目的は顧客の創造であると看破しています。これは個人においても同じかもしれません。歯医者さん、弁護士さん、パイロットの方々が、新たな顧客を創造し、流動性を生み出す必要があると思います。もしくは、この3種の有能な方々に新たな顧客を創造できる会社があったらブレイクすると思います。
実は教員も同じなのだと思います。無計画な採用計画によって、教員の年齢バランスは崩壊しています。それにフィットできない人もいて当然です。教員のキャリアを生かす、様々な顧客の創造、それが出来る人、いないかな。
ふと、思いました。