■ [嬉しい]我が仲間
教職大学院の同僚は私の誇りであり、私の安心の盾です。
昨日、教職大学院の入学式がありました。そこで新専攻長の話がありました。熱が入って、ちょっと長めになりました。そこで担任(我が専攻で最若年)が「たいへんりっぱなお話でした」と言うと、専攻長が頭をかいて、メンバーは暖かい笑い。初々しいな。
大学の教員間の関係を知っている私にとって、パラダイスみたいなところです。
だって、新校長が入学式の挨拶で熱が入ってちょっと話が長めになり、新採用の司会の先生が「たいへんりっぱなお話でした」と言うと、新校長が頭をかいて、メンバーは暖かい笑い。こんな職場に勤めたことありますか!?
当日は、専攻の新歓コンパです。笑いが絶えないコンパです。
羨ましいでしょ!!!!!
■ [大事なこと]宇宙語
ある方に、ある県を変える作戦を授けました。その方は聞いている内に頭が痛くなって「助けて~」状態になりました。反省します。私の宇宙語になれていないと、たいていの人はほら話だと聞き流します。ところが、その方はまじめなので理解しようとして、頭が痛くなってくるのです。一つ一つの段階は、ごく普通の常識からそれは可能であるということを積み上げていくと、いつのまにか県が変わるということが導かれるのですから、そうなるでしょうね。でも、そこで語った宇宙語は、学校『学び合い』程度のことであり、私にとっては、当たり前すぎることにすぎません。でも、その先があります。
ブルーオーシャン戦略というのがあります。これは現在のサービスの中で、実は顧客にとってはそれほどありがたくないサービスをカットすれば、それ自体がサービスになり、かつ、価格を下げることが出来ることを利用した経営戦略です。代表的な事例としては1000円カットがあります。床屋の大将との会話を楽しみにしている人もいますが、そうでない人もいます。そんなのより、早く終わってくれた方が良いと思う人がいます。そのサービスカットによって1000円という価格設定が可能です。
『学び合い』は多くの人は意識していないですが、この戦略に乗っています。現状では教師の授業が必要とされていると思い込まれています(床屋の大将が、自分との会話がサービスだと思い込んでいるように)。ところが、クラスの子ども達は4種類に分類されます。それは「塾予備校・通信教材で学習済みの子ども」、「教科書を読んで、問題を解ける子」、「教師の授業を聞いて分かる子」、「教師の授業では分からない子」の4種類です。この中で、教師の授業が意味があるとしたら、それは3番目の子どもだけなのです。ちょっと説明しますが、「教科書を読んで、問題を解ける子」にとって教師の授業は邪魔です。だって大学入試を思い出して下さい。予備校の名人講師の話を聞いて勉強するのと、自分に合った参考書を使って、適切な問題集の問題をどんどんときまくるのと、どちらが単位時間あたりの学習量は高いでしょうか?文句なく、後者ですよね。
さて、「教師の授業を聞いて分かる子」の中で、「教師の説明が一番分かりやすい」という子はさらに少ない。これは認知心理学のエキスパート・ノービス研究からも明らかです。だって、大学、高校、中学校、小学校の教師の中で一般的にチンプンカンプンの授業をするのは誰かと言えば、ダントツで大学でしょう。大学人は専門性が高いので、多くの人にとってはチンプンカンプンなのです。
従って、国が膨大な予算をかけて行っている一斉指導は、床屋の大将の会話と同じぐらい無駄なサービスです。『学び合い』では、この無駄なサービスを削減することによって、それ自体がサービスとなっています。そして、子ども達というマンパワーを活用することによって予算0で付加価値が生じます。
今の日本で埋もれている最大の埋蔵金は財務省にあるわけではありません。日本にある最大の天然資源(?)はジジババです。
ジジババは現在、年金や各種行政サービスを受けています。が、ジジババはそれをありがたいと思っているでしょうか?いいえ、そう思っていない。年金や各種行政サービスをカットして、その代わり仕事を与えた方が良い。高齢化問題は、ジジババとは予算がかかるという存在から、税金を払ってくれる納税者にすれば解決すると思うのです。
ただし、ジジババは若い世代と違って、体の無理が利かない、色々な人との繋がりも楽しみたい。従って、定時に働き始め、定時に終わるということは出来ません。だから雇用者との膨大な対話が必要だと思います。そして、個人で勤めるのではなくチームで勤めて、互いに補い合うのです。
では、どうするか。私はそれを行政が直接やることは出来ないと思います。地域コミュニティが再生し、そのコミュニティがチームとなるべきだと思っています。
では、そのコミュニティをどうやって生み出すか。それは学校がコアになるべきだと思います。何故なら、学校が日本で最大の行政組織だからです。コンビニのない地域ですら学校はあります。そこには立派な耐震構造の建物があり、公務員が何人も勤めている。それを活用すべきです。
『学び合い』によって子どもという資源を活用することによって、教師には余裕が生まれます。その余裕を地域コミュニティの核になるという機能にシフトするのです。では、どうするか?
何度も書いている「ちゃぶ台作戦」です。
『学び合い』の時間は保護者にとって子どもを身近に参観できる時間になります。保護者にとって最大のアトラクションは子どもです。『学び合い』だったら教師も公開しやすい。だって、子どもを見に来るのであって、自分の授業を見に来るのではないのですから。
『学び合い』を見に来た保護者は、最初はどうしていいか怖々しています。しかし、「どうぞ、○○さんの頑張りを近くによって見て下さい。そして褒めて下さい」と言って背中を押します。そうすれば、もともと近くに行きたいと思っている保護者なのですから、おそるおそる近づきます。そして、一見、変な学習のように見ているのに、意外にも学習に集中していることが分かります。でも、しばらくすれば子どもは「あっちに行ってよ、気が散るから」と言います。(なんで、こんなにリアルに分かるかと言えば、山のような事例をこの目で見ているからです)。ここまでは既に何度もやっています。
私がやりたいのは、この後です。教室の後ろに机を置くのです。そして、そこにお茶とお菓子を置きます。そこに保護者を座らせ、教師は雑談をいっぱいするのです。その中で、子どもがどんなことをしたかを語り、褒めるのです。『学び合い』ではゆったりと子どもを見ることが出来ます。だから、メモを取ることを習慣とすれば、やまほどエピソードはたまります。これまた、保護者にとっては最高のアトラクションです。
そして、「是非、他の人も誘って下さい」と言うのです。参観日でもない、公開日に来るような保護者は意識が高い保護者です。また、ママ友ネットワークの中心にいるような人です。直ぐに、数人は引き込みます。そうなればママ友同士の話が弾みます。そして、そのような公開を4時間目に設定すれば何が起こるでしょうか?そりゃ、ランチです。つまり、学校の教室が良質なアトラクション(つまり子ども)を備えた、無料の喫茶店になるのです。そうすれば、早晩、保護者の方が持ち寄りの菓子を持ってくるようになるでしょう。そのような保護者集団のコアになる人と、教師がいっぱい雑談するのです。そして、その雑談の中で、学校をよくするには保護者がチームになる必要性を語るのです。そのような公開日に来るような保護者が6人ぐらい(つまりクラスの2割以上)くるならば、担任は万全の体制が確立されます。そうすれば、6人に準じる18人(つまりクラスの6割)の保護者がたまに来るようになります。そして、保護者ばかりではなくジジババも誘うのです。
地方の学校(いや都心部も)には空き教室がいっぱいあります。それをジジババに活用してもらうのです。そして、積極的に学校の仕事をアウトソーシングするのです。例えば、遊具の安全確認などもありますよね。そんな仕事をやれば、ジジババも学校に気安くなるのです。何故かジジババがうろうろしている学校だったら、不審者対策は万全ですね。そうなれば、不審者を心配して公園に行かせない保護者も学校で安心して遊ばせられます。
ジジババの中には保育士だった人もいれば、教師だった人もいます。それを活用するのです。そして、その人に給与を払います。そして、その人達が中心になって、先に書いた地域の人材を活用することを考えるのです。地域の人材を活用すれば、学校の施設メンテナンスもかなり安く出来ると思います。
・・・・・・・・・・・というような妄想が私にはリアルに見えるのです。
では、ネックは何か、それは「教室に机を置き、そこにお茶とお菓子を置く」ということが変と思う常識なのです。ま、それも早晩乗り越えます。ふぉふぉふぉ
『学び合い』は授業方法ではありません。「多様な人と折り合いを付けて自らの課題を解決する」ということが得だという考えなのです。
ね、頭が痛くなったでしょ。