■ [お誘い]和歌山
5月14日に和歌山全県の小学校校長先生を前にして講演します。その前泊で13日から和歌山の海南市に入ります。夜は『学び合い』の同志と飲みます。参加したい方、メール下さい。開始は6時頃です。
■ [お誘い]参じます
本年度は九州ツアーが3回あります。私に来て欲しい学校は私にメール下さい。メインの仕事は大分と佐賀ですが、福岡あたりもOKです。
期間は、10月2日~5日、12月3日~5日、2月18日~21日です。
なお、近畿地域で10月24日、10月26日、11月30日で仕事があれば、メール下さい。
南東北地方ならば、8月5日~7日です。
北東北地方ならば、11月5日か11月7日です。
5月1日の昼までにメール下さい。
■ [大事な事]誤解
『学び合い』に対する誤解、非難は、『学び合い』を学び合わせる事が目的だと思っている事に由来しています。また、結果として生まれた、「現状」の授業方法の表層を見て、「教えない授業」(実は色々な事をしているのですが、従来の人は見えませんから)と見てしまうからです。
『学び合い』を正しく理解するには、「目の前の教え子を一人の例外もなく生涯にわたって幸せに出来るか?」と自分に問い直して下さい。
例えば、授業をすれば5分ぐらいで宇宙に旅立つ子どもがいるでしょう。いや、最初から聞く気が無い子がいるでしょう。その子も含めて例外もなく、その日の授業を分からせるにはどうしたら良いかを考えて下さい。それを「無理だ」とか、「必ずしも分からなくても良い」と思ったら『学び合い』ではありません。分からないで毎日を過ごす子どもの苦しみを考えて下さい。『学び合い』はそれを真剣に求め続けました。結果として、そんな事を実現しようとしたら、一人の教師で抱え込んでは無理だという結論になりました。そして、どんな素晴らしい教材や発問より、ごく普通の会話を、でも、膨大に積み上げることしかないという結論に至りました。
例えば、教師から見ても「性格が悪く」、「嫌なやつ」という子どもがいます。案の定、その子は周りの子どもから嫌われ、阻害されています。その子を子ども集団の中に受け入れられるようにするのかを考えて下さい。それを「無理だ」とか「自業自得だ」と思ったら『学び合い』ではありません。その子も仲間に入りたいと思っています。だって、ホモサピエンスの本能だから。でも、自分の何が悪いのか、分からないのです。『学び合い』はそれを真剣に求め続けました。結果として、その子を変えるより、周りの子ども集団がその子を理解すべきだという結論に至りました。そのためには、膨大に関わり、膨大に失敗し、その子の扱い方を集団が学ぶべきなのです。そして、関係を成立させた後に、その子が徐々に変わります。
もし、上記の子どもに着目するのが、その子のためだと思うならば『学び合い』ではありません。実は、勉強や人間関係で見捨てられている子がいることを他の子も知っているのです。そして、ビクビクしています。だから、クラスの全員が安心するためには、みんなが支え合わなければならないのです。
さて、自分が授業をしているとき、担任をしているとき楽しそうにしているし、分かっているようにしていたとします。さて、来年はどうでしょうか?あなたが担任でないかも知れません。卒業したらどうでしょうか?社会に出たらどうでしょうか?今、あなたはその子の一生の幸せを実現するための確かな何かをしているでしょうか?そして、一人も例外なくでしょうか?そんなの「無理」とか「その時の教師の担当」と思ったら『学び合い』ではありません。教師は教え子を幸せな人生をおくれる大人にしなければなりません。それは教育基本法の第1条をお読み下さい。『学び合い』はそれを真剣に求め続けました。結果として、一人も例外もなく支え合う仲間を学校で獲得するべきだという結論に至りました。それは同級生ばかりではなく、様々な学年、様々な学校の様々な繋がりの中で獲得すべきです。そして、本当に一人例外なく幸せにするには、地域コミュニティを再生することが必要だと考えています。
このような大それた事を実現できる場は、毎日の教科学習だと『学び合い』では考えています。なぜなら、コンビニのない地域、郵便局のない地域でも学校はあります。公立、私立に関わらず、国が最も多くの予算をかけ、膨大なマンパワーと施設を整えているのは自衛隊ではなく学校です。それを使うべきです。そして、我が子、我が孫のためというのが、地域の人や保護者集団が最も共有できるミッションだと思います。
その学校の多くの時間は教科学習に費やしています。その場で実現しなければなりません。教科学習はテストすることが出来ます。仲間になったふりは出来ても、100点取るふりは出来ません。点数分布で確実に仲間であるかを知る事が出来ます。
現状の授業方法は「目の前の教え子を一人の例外もなく生涯にわたって幸せに出来るか?」を実現できるための方法に過ぎません。本体は「目の前の教え子を一人の例外もなく生涯にわたって幸せに出来るか?」です。もちろん、『学び合い』によって直近の様々な問題を解決出来ます。例えば、受験も、それが団体戦だと子ども達が理解したならば、内申書レベルで足を引っ張り合っている学校に負けるわけはありません。しかし、受験だけを目指している限りは、子どもの心に本当の火を付ける事は出来ません。周りの仲間を安易に切り捨てる事は自分にとって損であることを分からなければなりません。そして自分の仲間はそれを理解していると確信しなければならないのです。
しつこいようですが、『学び合い』は学び合う事を目的としていません。「目の前の教え子を一人の例外もなく生涯にわたって幸せに出来るか?」を求めた教育なのです。
http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20120421/1334983839