■ [大事なこと]宗教
それを信じる人が救われるという宗教は多いですが、集団の中に一定数の信者がいれば信じていない人も救われるという宗教を私は知りません。また、信者で無い人が救われることが、信者である自分を救う道であるという宗教もしりません。(不勉強なだけかもしれませんが、多くはないと思います)
『学び合い』は新興宗教だと揶揄されるときがありますが、宗教だとしたらとても変わった宗教だと思います。
■ [大事なこと]分かる
本日、他ゼミの卒業生が遊びに来ました。
彼は学部2年生の私の講義の時は『学び合い』には懐疑的でした。3年生になると個人的に馬鹿話をしあう関係になりました。そのためか『学び合い』に対する反感は薄れたように感じます。そして4年の後半から『学び合い』に興味を持ち始めました。そして今年度新規採用になりました。
話を聞くととても教員間の関係の良い職場のようです。よかった、よかった。
色々な相談を受けましたが、週1の『学び合い』を勧めました。私としては『学び合い』を勧めると拒否するかなと思ったのですが、するすると吸収しています。
あまりにもするすると吸収するので、意外に思って何故『学び合い』を受け入れるようになったのかを聞きました。
彼によれば、彼が大学教育の中で形成された教師像はバンバンに教師が活躍し、それに応えて子ども達がスクスクと育つ、そんなものでした。従って、私の授業で語られる『学び合い』は新鮮ではあったが意味不明、理解不能だったようです。転機は4年生の中学校実習です。実習ではなかなか苦労しました。おそらく、それまでの教師像では無理そうだと言うことを実感したのだと思います。その際、大学の控え室にいた彼を見つけた私は、イタズラ好きの中学生モードになって馬鹿話をしかけました。しかし、彼が深刻そうなので、今度は一斉指導の教師モードになってアドバイスをしました。
不遜ながら言いますが、私の一斉指導の腕はかなり高いと自負しています。それに『学び合い』の根幹部分は一斉指導にも有効です。そこで彼が抱えている生徒指導上の悩みや、学習指導上の悩みを『学び合い』という言葉を使わずに一斉指導の枠内でアドバイスをしました。その後、7つのルールの最終ゲラを読ませました。それによって一斉指導と『学び合い』が繋がったのだと思います。
そして学校現場を経験します。まずは学校現場に唖然として、バンバンに教師が活躍し、それに応えて子ども達がスクスクと育つという教師像は無理だと実感したのだと思います。そして大学で教えてもらったものは、所詮、学ぶ構えのある子どもにのみ有効なものであることを理解したのだと思います。そして、その学ぶ構えの無い子どものことが、教師としての悩みの多くを占めるという現実を知ったのです。
それ故に、『学び合い』で彼の現状を分析し、現状の路線では出口は無く、穏やかな『学び合い』であれば「まし」になることを理解したのだと思います。そして、それを徹底するとどういうことになるというヴィジョンを得たと思います(この段階では信じ切れていないと思いますが)。
彼との対話は『学び合い』を理解する人の思考の流れの一つを理解する手がかりになります。彼のように最初分からないのが普通です。でも、逆に言えば、本年度の新3年生が何故、あれほど多かったのか。そして、昨年度まで多くの学卒院生、現職院生が『学び合い』に可能性が見いだしたのか。それを自分なりに分析したいと思いました。