■ [嬉しい]素直
朝一番に3分遅刻して私の部屋へ。開口一番、「私は西川ゼミになりました」とのこと。聞けば私が夢に出たとのこと。夢の中の私はと聞けば「遅くなったのは理由があるよね。なぜ遅くなったの?」と穏やかに聞いている私に脂汗を流したそうです。あはははは。
宿題の論文を読む。良いできです。出来が良いので、次の段階に進めます。本当の研究は大変ですが、業績を上げるのはポイントが分かれば出来ることです。ある意味、我がゼミ限定の奥義を伝授しようとします。ま、ようは政治なのです。
彼の必殺技は「素直」です。単なる口先だけの、小手先だけの人であれば、私の伝授する研究の奥義は会得できない。素直だから、すぐに入門できる。非常に教えやすい人です。
■ [大事なこと]依怙贔屓
私は高校教師の時から公平でありたいと自分に課しています。しかし、そんなのは無理でした。
高校を退職し、大学に異動するとき、先輩教師から「子どもたちは純ちゃんにべったりくっついている。そのままだと次の担任がやりにくいから、繋がりを絶つようにしなさい。」と釘を刺されました。それ故、子どもからの連絡があっても心を鬼にして返事をしませんでした。手紙を読めば、「なんで大学教師になっちまったんだろう」とボロボロと涙を流していました。
そのうちに一人ずつ連絡がなくなりました。そして最後まで手紙を送り続けた子がいました。恥ずかしい話ですが、私の印象は弱い子です。教師だったらお分かりだと思いますが、とりわけ賢い子ととりわけ手のかかった子は記憶に残るものです。それ以外の子どもの印象は弱いものです。最後まで手紙を送り続けた子どもは、その中でも特別に印象の無い子です。その子の手紙を読むと、その子の感受性がいかに豊かで、深い悲しみを持っていた子であることを遅ればせに知りました。そしてそれを知らなかった自分を恥じました。
「この教材は子どもたちにわかりやすい」という言う人がいると、私は「誰がわかりやすいの?」と突っ込みたくなる。たしかに「分かりやすい子」もいるでしょう、でも、それと同数の「全く分からん子」がいます。そして大多数の子は、その教材より分かりやすい教材があります(たいていはクラスメート)。一人一人の子どものデータを記録、分析すれば、「子ども」という抽象的な存在は無く、一生懸命に生きている一人一人がいることがよく分かります。
もし、三十人の子どもを頭に浮かべて公平でありたいと考えれば、頭がくらくらするほど難しいこと、いや、不可能なことです。人には依怙贔屓は必ずあります。教師その気が無かったとしても、教師を使うのがうまい子がいる一方、下手な子がいます。そして仮に公平であったとしても、それは教師の目から見たときの公平であり、子どもは公平であるとは思わないでしょう。
だから私は基本的なルールを自分に課し、その多くは明文化し、子どもたちに公開するようにしています。つまり啓蒙君主では無く、法治国家による公務員になろうとしています。おそらく私ほど明文化している教師は少ないと思います。でも、私はそれを必要だと信じています。http://p.tl/kpIj