■ [ゼミ]規格外
私は小学校3年生まで知的障害児と認定されていました。それが納得できない母は「教育ママ」に大変身して、知的障害児のラベルをはがしてくれました。
が、そんなことは子どもの私は知りません。私が知的障害児と認定されたこと、それまでの歴代の担任に言われたこと、それを知ったのは我が子を持ってからです。我が子の問題を母に相談したとき、実は私と極めて似ているということが分かりました。そのとき、母から上記のことを教えてもらいました。そして初めてその話を聞いたとき、最後に母が行った言葉は印象的です。「今の純を見せてやりたい」です。その抑えた声ですが、迫力がありました。それを聞いたとき「お~・・」と思いました。
我がゼミに所属する人は規格外です。「この人は教師に向いていない」と大学院試験で落とされた人もいます。でも、捲土重来で受け、合格した人です。一見、合格しても、規格外と認定される人もいます。(もちろん全員ではないですよ)でも、我がゼミは入るものは拒まず、去る者はおわずが基本原則です。いろいろ言われたのに、我がゼミを選んでくれたかわいいゼミ生です。
規格外の人は、そりゃ、規格外です。でも、数年後に修了・卒業します。
卒業後の姿を知り「今の彼(彼女)を見せてやりたい」と思います。そのとき、我が母の気持ちの百分の一が分かります。しかし、人の一生はこれから数十年続くこと、その時も幸せであってほしい。そして、今、私とつながれないOB・OGに幸多かれと願います。私が正しい道を歩み続けるならば、必ず、彼らのためになれることがあります。それが出来る私にならねば。