■ [大事なこと]根幹

『学び合い』のテクニックのことを語る機会は少なくありません。しかし、ゼミ生以外に『学び合い』の本当の願いと、それと一対一対応する理論を語る機会はあまりありません。本日は、それを語れました。伝われ、と願いつつ。
■ [お誘い]愛知の会

愛知の『学び合い』の会を支えてくれる人、大募集です。やれる範囲でみんなでやればいいのです。お願いします。http://p.tl/xmVS
■ [嬉しい]飲み会

本日は、和歌山から小学校校長(6人)、小学校教頭(1人)、小学校教諭(2人)、高校校長(1人)、教育行政(1人)、長野の中学校教諭(1人)、東京の教材会社(2人)のお客様を迎え、ゼミ生たちと飲み会です。さすがに人数が多いので、本日は大学近くの公民館(グーグルで「新潟県上越市岩木 岩木町内会館」で分かります)を借りました。いっぱい喋って、いっぱい学ぼう!!!!18時からです。飛び入り参加もアリです。
■ [大事なこと]合同『学び合い』

日本の教員の200人に一人は心の病で休職しています。ということはその十倍はその一歩手前だし、その予備群は少なくないはずです。同僚にそのような人がいて悩んでいる人は少なくない。その方々へのメッセージです。
授業の8割以上を子どもに任せたフルの『学び合い』だけが、定常的に合同授業をすることが出来ます。足して2で割る『学び合い』ではそれは出来ません。何故なら、導入の時間や、間に入れるまとめの時間の調整が難しいからです。フルの『学び合い』ならは「さあ、どうぞ」でOKです。
心を病んでいる方への特効薬は、「私もそうだったのよ」の一言です。「自分が悪い」、「自分のせいだ」、「自分は駄目だ」と自己否定し、負のスパイラルに陥っている人に、「あなただけではない」というメッセージが救いです。事実、教員の抱えている悩みの99.9999%は、その人が最初に悩んだことでもないし、その人が最後に悩むことではない。話し合えば、誰もが悩むことです。
でも、悩みを相談するのは難しいことです。特に、自己肯定感が低いときは、「これを話したら馬鹿にされるのではないか?」、「自分の今の状態が悪いことを認めるのが恥ずかしい」という気持ちでいっぱいです。それを乗り越えるためには、膨大な雑談が必要なのです。当たり障りのない雑談。そして、大笑いできる雑談です。
今の学校には、その時間が無い。教務室では書類書きに追われます。第一に、空き時間にいるのは教頭先生以外は自分一人、という規模の学校も少なくありません。『学び合い』だったら授業中に雑談が出来る。そして、雑談の種は、子どもたちのほほえましい行動から生まれます。子どもたちの姿を種に、雑談し、笑うのです。その積み上げの中から、自己開示できます。それに合同『学び合い』は、少なくとも一人の先生が『学び合い』を分かっていれば、必ず成功します。結果として、心がやんでいる人も満足できる授業を経験できるのです。
まずは週に1時間だけでも始めることを勧めます。そして、一教科は全部合同『学び合い』で勧めれば良い。そうすれば、あなたがその人のクラス作りに関われます。もちろん、合同『学び合い』はあなたの授業にもメリットがあります。『学び合い』は一斉指導と真逆で、人数が多ければ多いほど、多様性があればあるほど、安定して成功しますから。
追伸 何故、心を病んだ人の気持ちが分かるかと言えば、私も、そうなったこともあります。そして、上記のように愚痴を聞いてくれた人に恵まれたから踏ん張れたし、復帰できたからです。
■ [嬉しい]展望

第一回『学び合い』フォーラムを開いた頃は、私自身一人が切り込み隊長のような状態でした。が、最近は切り込み隊長が凄く増えたような気がします。おそらく元から切り込み隊長だったのですが、私のようなバカではないので、したたかな切り込み隊長だったのでしょう。それが徐々に、したたかでも見えるようにネットワーク力を上げていたのだと思います。なんか、戦う、というのではなく、自然なのです。
教室レベルの『学び合い』は手引き書に私なりの理論的整理を書き、テクニックに関してはステップアップにまとめました。あとは「一人も見捨てない」という願いを共有していただければ、煮ても焼いてもご自由に、という気持ちです。
いまは学校『学び合い』の切り込み隊長です。でも、この数年のうちに切り込み隊長が増えるでしょう。『学び合い』ジャンプアップにテクニックは書きましたし、理論編は「忙しいを誰も言わない学校」に書きました。あとは、はやくちゃぶ台作戦の可能性に気づいて、地域コミュニティの再生を実感してほしい。
ということで、全国レベルの展開には概ね満足しています。今の私の悩みの過半数は地元の上越です。本来だったら、個に拘らずが『学び合い』のセオリーですが、私のクラスである西川ゼミの学生さんを育てるフィールドなのです。これは全国を変えるより難しい。全国の同志のお力で変えるしかありません。
追伸 言ってもせんないことですが、私の悩みの根本的原因は、私が上越市にある上越教育大学に勤めていることから発します。あわてて補足すると、とても良い大学です。ただ、私がちょいと規格外すぎて、周りの人がみんなまともだからです。
■ [う~ん]自信

私には理解できないことですが、自分の教えていることを分からないと良い教師にはなれないと確信している人が少なくありません。なんで、そんなことを自信を持っていられるのか訳が分かりません。
教職免許状を取得するにはどのような単位が必要か法令で定まっています。しかし、そこで指定しているのは科目名程度です。その科目名の科目をどのような科目にするかは大学教員の一人一人の「趣味」です。
もっと訳が分からないのは、法令で指定していない時間数まで拡大したり、法令で指定していない科目を必修にしたりすることです。そのことによって良い教員が育てられる根拠は何かを聞いたことがありますが、どこまで聞いても、本人の思い込みと趣味以上の根拠を見いだすことは出来ません。ま、簡単に言えば「多くやれば、多くやるほど、いいでしょ」といういう素人レベルです。善意から発するのは分かるのですが、それを人に強いるのは困ったことです。
どんなことを学ぶためにも、「資料を読む」、「人と語り合う」、「自分で考える」の三つが大事です。講義は「資料を読む」に含まれますが、そこには個人の選択があらねばならない。そして、「人と語り合う」、「自分で考える」を十分に行えるためには、余裕がなければならない。
追伸 当然のことながら私は私が講義で語ることはとても重要だと確信していますが、万人が聞かねばならないと強いたいとは思いません。