■ [ゼミ]ゼミ生

ゼミ生はみんな可愛い。周りから色々言われ、そして新興宗教のように揶揄されているにも関わらず我がゼミを選んでくれた。それだけで可愛い。
ゼミ生にも色々です。
『学び合い』を実践した実践者、また、『学び合い』をある程度は勉強し学生が、『学び合い』の奥義を学ぼうとする確信者。
『学び合い』に関しては大学・大学院に入るまでは知らなかったが、ここ(大学・大学院)でした学べないものを学びたい(一般的なことは他でも学べるから)という人。
『学び合い』は分からないけど、一生懸命に頑張っているオジサン(つまり私)が波長が合いそう。
信頼している人が、西川ゼミはいいぞ、と推薦した。
等々
で、私が分かってほしいこと。人間的に傷が多い私が、『学び合い』の方法的には誤ることが多い私が、『学び合い』が願っていることにはぶれていないこと。私は聖人君主のやっていることはしていません。でも、愚かで無力ながら、そしてエゴイストで中学生並みの発想をしている私が、「一人も見捨てない社会と教育」があったらいいな~っと思って、ちょっとずつやり続けていること。
ゼミ生の圧倒的大多数は私と『学び合い』を別物と分かってもらっていると思います。相対性理論とアインシュタインの人間性と分けて考えるべきなのと同じです。それが混同すると、私が嫌いだから『学び合い』が嫌いという反応があったり、私は好きだけど『学び合い』は理解不能という反応が起こります。
ゼミ生の卒業後・修了後、色々な荒波にもまれます。大変でしょう。でも、したたかに生きてほしい。単純に周りに合わせれば、楽です。でも、「一人も見捨てない」という戦略が本当に自分にとって「得」であることを分かってほしい。そのためには、色々な人がいても、その人の全員を信じる。そして、その人なりのつきあいを考える。それは『学び合い』の学校観と一致しています。
「一人も見捨てない」という基本方針を見捨てれば、その先にあるものが見えます。私はゼミ生が可愛い。だから、その一点を分かってほしい。