■ [大事なこと]方法から考え
『学び合い』の最初はだれしも方法からです。それは昔から同じです。でも、その中でその人の「願い」を強く感じる場合もあります。つまり、「よい授業とな何か?」ではなく、「教え子を全員幸せにしたい」という比率の相対値なのです。両者は究極においては一致するのですが、途中過程は違います。そして、途中過程が違うと、最終的な姿が違うのです。
もし、「教え子を全員幸せにしたい」と願うならば、それが出来ない教師も巻き込むことが必然です。なぜならば、自分の教え子を来年託す教師が自分のとは違う人なのです。だから、自分と違う人に寛容になれます。折り合うのです。それを実現するには個では無く、集団に目を向けるしかありません。
私の高校の教え子の保護者(?)の中には鬼畜のような人もいました。でも、救えなかった。自己合理化しました。でも、納得できなかった。でも、子を持てば、若造の教師である私には鬼畜と思える人も、その人自身が救われるべき人であることは分かります。その鬼畜と思える保護者を救わなければならないのです。そのトラウマがある、だから授業ばかりではなく、学校を考えるし、地域を考えることになります。
第1回フォーラムの時には同志と言える人は、ゼミ生と少数人数でした。本はそれなりに売れましたが、『学び合い』は「面白い」というレベルです。数ある授業方法の一つであり、一つに飽きれば、一つに移るレベルの人です。たしかに方法レベルであれば、それもアリだと思います。でも、『学び合い』の本当の根幹は「教え子を全員幸せにしたい」です。そのためには、教師も社会も幸せにしなければならない。それを実現するには学校観、子ども観が唯一の道だと確信しています。
巡り巡ってフォーラムは9回目になりました。つまり最初のフォーラムから8年たったのです。徐々に、本当に願いを共有してくれる同志が増えました。もちろん、置かれた環境でどこまで出来るかは違います。私だって教職大学院の中で出来ることと、出来ないことがあります。でも、『学び合い』の願いの行き着く先に光を感じ、自分の出来ることをやっている同志が8年前には想像できないほど増えました。ありがたいことです。そして、授業レベルの実績から、学校レベルの願いを持つ人の割合が増えてきています。それは、上越に参観に来る校長レベルの人の数でハッキリ現れています。
一人で立っていくのは誰しも辛いことです。仲間を見いだし、生みだし、それによって自らを幸せにしましょう。それが学校観です。それによって、自分も含めて一人も見捨てられない道です。
■ [嬉しい]化学反応
私は日本中の『学び合い』の同志と繋がっており、直に合って仕事をした人がいます。本当に全国には色々な人がいます。その中で、「この人があの人と繋がると面白いだろうな」と思うことがあります。私にメールで相談している人とメールのやりとりをしている中で、「これだったら、あの人と話せば分かって貰えるのに」と思うことがあります。
『学び合い』で子どもを見ていると、人間は関係の生物であることがよく分かります。まるで化学実験をしているようです。
『学び合い』フォーラムが8月3日と4日に福島であります(http://manabiai.jimdo.com/)。そこでどんな化学反応が生まれるか楽しみです。
■ [お誘い]千葉の会
9月7日の『学び合い』千葉の会の詳細です。お誘いします。
9月7日(土曜日)『学び合い』千葉の会を開催します。
http://kokucheese.com/event/index/105598/
https://twitter.com/1hjm/status/362561311973974018
https://www.facebook.com/groups/234721476575394/permalink/531382546909284/