■ [お誘い]神戸の会

今回は,学級経営や授業づくりについての交流を中心にします。西川純先生も来てくださいます。部屋がせまく20名が限界なので興味のある方はお早めにお申し込みください。ow.ly/ox8qb
■ [大事なこと]両方

落語のまくらに昔の職人は文字が書けなかったという話がよく使われます。職人同士の会話で、ある職人が「あいつ、字を書けるだって」と言うと、別の職人が「それだから仕事がだめなんだ」という会話があります。
昨日のメモに繋がりますが、学術の世界で生きるものにとって、実践の世界での業績はマイナスにすらなります。つまり、ある研究者が「あいつ、実践本を出したんだって」と言うと、別な研究者が「それだから研究がだめなんだ」という会話になります。でも、これは実践の世界でも同じでは無いでしょうか?つまり、ある教師が「あいつ学術論文を書いたんだって」というと、別な教師が「それだからまともな授業が出来ないんだ」という会話になります。
教育研究者の何パーセントが本屋の教師本のコーナーに定常的に行くでしょうか?でも、逆に言えば、教師の何パーセントが本屋の教育学のコーナーに定常的に行くでしょうか?そんな社会で生き残るには術があります。
だから、上越教育大学の教職大学院は基本的に学術論文の業績と、実践の業績を兼ね合わせた人で固めています。もちろん、スタッフの中には相対的に学術の業績に偏っている研究者教員と、相対的に学術の業績に偏っている実務家教員がいます。前者の人は、本学教職大学院のスタッフであれば、自然と実践の業績は増えます。そういう環境をカリキュラム上位置づけられているのです。つまり、「実践なんてしーらん、ぴ」ということが絶対出来ないカリキュラムです。しかし、学術の業績はそれなりのトレーニングが必要です。ま、作法ですね。だから、みんなでサポートして学術の業績を上げられるようにしています。
ちなみに上越教育大学の専任スタッフ17人の中で実務家教育は10人です。この比率は画期的です。これが成り立つのは、実務家教育の殆どが学術研究の業績を持っている人だからです。だから、本学教職大学院においては研究者教員と実務者教員の差が殆どありません。ちなみに研究者教員の中で博士の学位を持っているのは私を含めて3人です。しかし、実務家教員の中にも3人の博士の学位を持っている人がいます。