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2013-10-12

[]今の若い奴ら 21:36 今の若い奴ら - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 今の若い奴ら - 西川純のメモ 今の若い奴ら - 西川純のメモ のブックマークコメント

 "今の若い奴ら"は私に比べて、ものすごく優秀です。熱意があります。真面目です。いい加減に教師になった私とは雲泥の違いです。

 "今の若い奴ら"は私に比べて、先輩に恵まれていない。飲み会には参加しないし、十分に先輩に甘えられない。私の頃は、週に何度も先輩に飲みに誘われ、愚痴を聞いて貰えました。それも色々な人に。

 "今の若い奴ら"が悪いのではありません。今の中堅が悪いわけでは無い。年齢構成の問題です。両者を繋ぐ人がいなさすぎるのです。(私の時代はいました)

 でも、その時代の若い人を守りたい。と思います。 

[]到達点 21:01 到達点 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 到達点 - 西川純のメモ 到達点 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近、我がゼミに他大学の学生さんが参観に来ました。そして、『学び合い』の生を見ました。多くを学んだとのこと、よかった、よかった。その方のFBに「この二日間の『学び合い』の見学は、単に魅了されただけではなく、私にとって本当に大きな意味を持ちました。なんだか壁にぶつかった感じです。私が教育における到達点としていたものが、『学び合い』においては手段であったようです。これについて書き連ねてみたら4時間もかかってしまったので…一言でまとめます。笑  私には、“折り合いをつける力”の重要性が抜け落ちていました。そして恐らく「一人も見捨てない」ことの大切さも本当に理解出来ていないのだと思います。」と書いてありました。実は、午後、ずっとそのことを考えていました。

 その学生さんが上越にいるときに、真剣に私に質問したのです。しかし、私はその場で、その言葉の意味を正確に捉えられておらず、適切に返答できなかったと思います。そこで書くことにしました。

 多くの教師は、楽しく、わかりやすい授業をすることが教師の仕事だと思っています。もちろん、教師が子どもの人生に影響を与えられるし、するべきだと思っているでしょう。しかし、実際にそれを実感できる教師がどれほどいるでしょうか?そして、実感できたとして、どんなとき、そして頻度はどれほどでしょうか?おそらく、運動会や部活などで経験することが出来るでしょう。でも、前者でそれを感じられたとしても、年に1度です。後者で感じられたとしても、目の前にいる子どものごくごく一部です。結局、毎日毎日しているのは授業です。だから、楽しく、わかりやすい授業をすることが教師の仕事だと思うのは当然でしょう。私だって、そうだった。だから、学生さんがそう思うのは当然です。そして、それが単なるツールに過ぎないということに衝撃を受けるのは当然です。

 では、私は何故変わったか。二十年弱の学術と実践の積み上げによって変わりました。そして、臆面も無く私は「全ての子どもや人を一生涯幸せに出来る」と言います。そして、それが教師の出来ることだと言います。

 しかし、では西川ゼミの学生さん、それも実践経験も無い若い学生さんが、「全ての子どもや人を一生涯幸せに出来る」と思えるのでしょうか?百歩譲っても、「全ての子どもや人を一生涯幸せに出来る」ということが実現できると本気に思っている人がいると思えるのでしょうか?

 それは『学び合い』の生を長期にわたって観察することによって、「全ての子どもや人を一生涯幸せに出来る」とわかるからです。毎日、毎日の『学び合い』では、ドラマティックなことは無いのです。そこにあるのは、ちょっとしたアイコンタクトの変化、ちょっとした一言、ちょっとした行動の変化があるだけです。しかし、そんなちょっとしたことをクラスのみんなでやれば、そしてそれを積み上げれば、信じられないことが起こることを見ます。

 そして、私のゼミに所属すれば、全国にいる仲間との繋がりを感じられます。その人たちのちょっとした情報発信が、別な地域に影響を与え、やがては学校を変えることを知ります。つまり、「全ての子どもや人を一生涯幸せに出来る」ということはみんな(その中には子どもや保護者や地域の人を巻き込んで)でちょっとしたことを積み上げていれば、実現するかもしれないというイメージを持つことが出来るようになるのです。

 ただし、実現可能だと思ったとしても、私の管理下から離れ、ゼミの文化から離れた後にそれをやるか否かは、私の力の及ぶところではありません。それは、一人一人の持っている共感能力や、願いに依存します。なによりも、どのような人と繋がっているかに依存します。それによって、その一人一人の到達点にが決まります。

[]蔵書 10:07 蔵書 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 蔵書 - 西川純のメモ 蔵書 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の研究室にはじめて来た人は、大学教師の部屋にしては何か変であるということに気づきます。ま、目につくのは巨大な液晶テレビに繋がったコンピュータ、2台の液晶ディスプレイに繋がったコンピュータ、2台のプリンター、3台のスキャナーという機械だらけの部屋であることです。次には、壁には家族写真と学会賞の表彰状が並んでいます。

 でも、それだけではありません。本棚には両手招き猫がいっぱい並んでいます(私のコレクションです)。そのあたりで、本が殆ど無いことに気づかれると思います。そうです。私の部屋の最大の特徴は本が殆ど無いと言うことです。大学教師の部屋は本だらけであるのが一般的なのに。では、本は無いのでしょうか?いやあります。ただ、私の場合はそれらをpdfにしてコンピュータのHDD(レイドで保護しています)とクラウドに保存しています。

 今、なにげにその冊数を調べてみたらば一万六千冊ぐらいあることが分かりました。我ながら、ビックリです。これを本棚に並べたならば、私の研究室に私のいる場所は一つも無いと思います。

 こんな風にしたきっかけは、私のボスが大学の副学長になるために研究室を移動するのを手伝ったときです。とにかく、本が膨大で大変なのです。そして、その本が殆ど使われずにいるのです。私が退職したとき、本の場所をどのように確保するべきかを考えました。そして、一念発起しました。

 まず、過去には興味を持っていたが、今後は興味を持たないであろう本をどんどん処分しました。私はもともとコンピュータの専門家として大学に採用されましたので、その手の本が膨大にありました。また、私が理科教育学出身なのでその手の本が膨大にありました。それらは私の弟子にあげました。これでだいぶ処分できました。

 最初は本を手放すのには抵抗がありました。昔からの習慣で、本があると、何か自分が賢くなれそうな気がします。本があれば何かの時に身を守れるような気がします。私が高校で読んだ、渡部昇一さんの「知的生活の方法」の意識が深く刻み込まれていたのです。が、一度処分し始めると、毒を食らわば皿まで、ということで処分することを徹底しました。

 経営学や心理学は今後も使います。サル学などの生物学、歴史、哲学も今後も使います。また、老後にゆっくりと楽しみたい本もあります。これをpdfにしています。それが一万六千冊あるのです。

 ということで、私の手元にある物理的な本は、大学学部・大学院で一行づつ丁寧に読んだ限られた本だけです。それらは段ボールに入れられ倉庫に保管しております。

 ということで、定年退職の準備も、他大学への異動の準備もばっちりです。

追伸 pdfにする際に、ocr機能を使いましたので、膨大な本の全文検索が出来ます。これは非常に便利です。本の多い同僚の部屋を見ると、かつての私を見るようで、無駄だな~っと思います。