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2013-11-22

[]岡方第一 21:32 岡方第一 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 岡方第一 - 西川純のメモ 岡方第一 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は岡方第一小学校の自主公開研究会に参加しました。

 おそらく、それに参加した方は、大満足だったと「断言」します。少なくとも私は大大満足でした。

 蛇足ながら、私も講演しました。その際に私に課した課題、「泣かない」、「時間を守る」です。これはクリアーしました。

 が、危うくなりました。おそらく誰も分からなかったと思います。それは校長の語りの中で、感激で泣きそうになりました。校長は常にひょうひょうとしています。かたりも、淡々と語っています。しかし、校長の語る気持ちを察すると感激して泣きそうになりました。が、校長が淡々と語っているのに、脇で語っている私がボロボロになってしまうと、どっちらけです。そして校長に失礼です。だから、我慢しました。

 この学校に関われ、多くの先生方に関われたことを光栄に思います。心地よい疲れです。

追伸 ちなみに越後『学び合い』でも、同じ思いを感じたんです。今の段階で、『学び合い』を学校に取り入れようとする管理職は、かなりの大人物です。すくなくとも、横並びの人ではない。

[]学術 08:29 学術 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学術 - 西川純のメモ 学術 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 おそらく、 『学び合い』を学術データと論理で否定するのは不可能だと私は思います。なぜならば、以下を論証しなければならないのです。

前提1 子どもたちの能力は多様で、東京大学に行くかもしれない子と、知的障害が強く疑われる子どもが共存する数十人の集団がクラスである。

前提2 現状の子どもたちの三割強は塾・予備校・通信教材・家庭教師を受けている。大学レベルの高等教育を受けている保護者がかなりいる。

前提3 分かれば教え方がうまくなるとは限らない。分かりすぎると、分からない人の理解や気持ちを分からなくなる。

前提4 どの学校段階、どの教科でも、圧倒的大多数の授業は能力レベルの中(もしくは中の下)に合わせている。

前提5 学校教育は学習指導要領で指定されていることを国民全員が学ぶことを求めている。それを超えたことを教える価値は否定しないが、それは、最低限のことを全員が学んだ後の話である。

 以上の前提の元に、一人の教師が板書発問で授業を進める方が、子どもたち同士が支え合う授業よりも、子どもが分かると論証しなければなりません。もしくは上記の5つの前提を否定しなければなりません。

 批判する人は、上記を学術データと論理で論証してみたらいいのに。

 こりゃ無理だ。私にとっては1+1が2であると同じぐらい、単純なことなんですが。

追伸 なお、上記は「分かる」という 『学び合い』では最低レベルのことにとどまっています。これが「人格の完成と二桁の足し算を結びつける」、「子どもの一生涯の幸せを保証する」レベルのことを持ち出したら、批判する人はどのように論証するのだろう。

[]大事なこと 06:44 大事なこと - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 大事なこと - 西川純のメモ 大事なこと - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は最底辺校の教師として教師人生を始めました。私の考え方を決定的に決めたのはそこだと思います。

 その学校では、「純ちゃん、なんで物理を勉強するの?」といっぱい聞かれました。その疑問に対して、大学、大学院で学んだ理科を学ぶ意義を語りました。しかし、非常に単純な論理で論破されます。自分が学んだものは何だったんだろう・・・と愕然としました。物理好き同士が納得しあう物理を学ぶ意義だったら山ほど知っています。でも、物理嫌いの人を納得させる物理を学ぶ意義を語れる人がどれだけいるでしょうか?

 私は最底辺校で専制君主となろうとしました。ものの見事に拒否されました。そして、彼らを奴隷にする権力はどこにもないことを知りました。その学校で教師となるには、子どもたちの合意を取り付けなければならないのです。残念ならが、どうかんがえても物理を学ぶ意義を語ることは出来ませんでした。結果として、面白い授業、わかりやすい授業をすることによって「なんで物理を勉強するの?」とは聞かれなくなりました。でも、それは誤魔化しであることを知っていました。

 研究者になって、本当に物理を学ぶ意義はあるのだろうか、その他の教科を学ぶ意義があるのだろうか?それを調べました。結果として、そんなのはありません。

 子どもから「なんで○○を勉強するの?」と聞かれて説明できないとき、「今は分からないかもしれないけど、大人になると分かるよ」なんていう説明をします。でも、私が調べた結果によれば、「大人になると、たいして大事ではない」ということがハッキリ分かるのです。そして、実は教師自身も分かっているのです。

 学術データによって断言します。学校で学んでいる内容はたいして大事ではありません。では、民主的な国家における法の執行者としての教師であらんとするならば、どうしたらいいか?それを追求した結果が『学び合い』なのです。

 だから、たいして大事ではないことを、後生大事にしている人、そして、それを背景として専制君主になろうとしている人を見ると、悲しく思います。

追伸 ある教科を学ぶことによって、一般的な能力(例えば論理的思考能力)を育成できるという形式陶冶の議論は認知心理学の文脈依存性や領域固有性から否定されています。そんなことは1970年代に決着していることです。残念ながら教育の世界は50年遅れている。

西川純、小林学(1985.10):戦後の経済・産業界の教育に関する要望・意見の変遷、科学教育研究、9、日本科学教育学会、100-106

西川純、新井郁男、熊谷光一、田部俊充、松本修(1997.8):生涯教育から見た各科教育、学校教育研究、12、日本学校教育学会、136-147

西川純、新井郁男、熊谷光一、田部俊充、松本修(1998.7):生涯教育から見た各科教育(その2)、学校教育研究、13、日本学校教育学会

西川純、北島克浩(1999.3):保護者から見た理科への評価、科学教育研究、23、日本科学教育学会、50-58

西川純(1999.9):「学ばなければならない科学」からの脱皮、科学教育研究、23、日本科学教育学会、382-384

[]形成者 06:04 形成者 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 形成者 - 西川純のメモ 形成者 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 何度も書いたことです。

 教育基本法第1条には「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」とあります。でも、この文章を本気になって受け取っている教師がどれほどいるでしょうか?単なる美辞麗句として捉えている教師が大多数ではないでしょうか?

 『学び合い』を批判する方の批判は、大抵はテクニックレベルのことにとどまっています。教育の本質は、どのような教え方をするかではなく、どのような子どもを育てたいかにあります。しかし、批判する方の中で、第1条レベルで議論する方に出会ったことはありません。

民主主義とは、国家や集団の権力者が構成員の全員であり、その意思決定は構成員の合意により行う体制・政体です。では、今の教室は民主的でしょうか?教室には手の上げ方、声の出し方まで指定している掲示物が貼られています。まるで、とこかの将軍様の国のよう。そういえば、あの国の名前は「民主主義」とうたわれている。あれも民主主義なのかな~

 もちろん、日本だって権力者はいます。しかし、その権力の行使にあたっては、常に構成員の合意に基づく法を執行しています。従って、権力は当人にあるのではなく、構成者の合意に基づく法にあり、つまり構成者にあるのです。

民主的な国会及び社会の形成者を育てるには、教室が民主的であらねばならない。

 日本の法のどの条文を見ても、「分からなかったら、友達同士で相談してはいけない」とは書いてありません。「静かに、座って勉強しなければならない」とは書いてありません。「教師は板書・発問で教えなければならない」とも書いていません。ところが、相談することを制限し、座ることを強いているならば、どの法の条文によって立つのでしょうか?

学び合い』は徹頭徹尾に遵法です。

学び合い』で子どもに強いるのは、学校教育法施行規則によって規定される学習指導要領の求めることを全員が達成することです。法令に定められていない、方法に関しては強いません。

教師が権力者として子どもに強いるならば、その構成者の合意を得る必要があります。でも、そんな教師はいませんね。つまり、専制君主になっているのです。

 『学び合い』を批判する人が、このレベルで教育の議論を出来るようになれば、実り多いのにな、と思います。

追伸 マスクをつけているか、いないかレベルの批判を読むと、滑稽を通り過ぎて悲しくなります。