■ [大事なこと]出来るの?
たまにネットサーフィンをして、私に対する非難を読みます。「まあ、そう思うよな~」と思える想定内の非難が大多数です。私もかつては多くの教師と同じ立場でものを考えたのですから。でも、私が日本の教育を壊すレベルのことを書いてあると、「お~・・・、俺ってそんなに凄いのかな~」とびびります。
それらの非難は、子どもの多様性を理解されていない。だから、一人の教師が教えられると考えているようです。ま、「分かりやすい授業」や「面白い授業」という言葉はよく使われる言葉です。その言葉を読むと、「誰にとって?」と思います。子どもは一人一人違うのに。
また、「べきだ」、「なるはずだ」ということを前提にしています。でも、教師全員がそうできるわけではありません。でも、その教師のクラスで1年間過ごす子どものことを考えるべきなのです。教室には様々な子どもがいます。どう考えても無理な子どもがいます。では、どのように合理化するか、全員は無理と白旗を掲げます。でも、「より多く」という旗を掲げ、「多くの子どもが分かる授業」、「多くの教師が出来る授業」と言います。でも、その多くとはどれほどでしょうか?まあ、過半数程度ではないでしょうか?仮に九割五分であったとしましょう。十割でない限り、それは九割になり、八割になり、七割になり、早晩、六割になります。
私も高校教師の時はそうでした。全員分からせることを早々に諦め、多くの子どもが楽しくて、全員が分かった気になる授業を目指していました。だって、全員わかる授業なんて出来るわけないと思っていましたから。でも、全員わかる授業、全員幸せになる授業を考えるべきなのです。
ですので、「その日の授業が出来ればいい」、「その教科が分かればいい」、「自分が教えているときが良ければいい」のレベルの言説を、まあそうだよな~っと思います。そして、子どもの成長と言っても、まあ1年レベル、長くて3年レベルのことしか想定の中になく、それ以上は言葉遊びの随筆になっている言説も、まあそうだよな~っと思います。そして、怒るより、脱力します。ま、そのうち分かってくれると思います。毎日の授業が、子どもの七十、八十になった時の幸せを保証するものであることを。そして教育基本法で書かれていることは建前論ではなく、実現可能であることを。
■ [大事なこと]ルビコン川
私が同志やゼミ生に提案していることは、全て確実に出来ることしか言っていません。リスク管理も行っており、最悪の場合でも重篤な問題は起こさず、最悪でも一定以上の成果を上がることを計算しています。が、『学び合い』という多くの方が信じられないものを信じて貰える同志の人もなかなか信じて貰えません。
例えば、異学年『学び合い』です。部活経営と同じであることを説明すれば、「あ~、なるほど」と分かって貰えます。しかし、なかなか実行に移せませんでした。それを口説いて口説いて、「騙されたと思って1度やってみて」と言いました。「では、一度だけなら」と言ってやって貰えました。やれば私が言った通りになることが分かります。そして、一度だけのはずだったのに、それがずーっと続きました。それ以降は、その学校の異学年を実際に多くの人に見て貰いました。これが、今、全国に広がりつつある全校『学び合い』です。
参観の時に、自らの学びを子どもたちに語らせることも、なかなか信じて貰えませんでした。でも、一度やれば、子どもたちがいかに『学び合い』で成長していることを参観者に伝える最高の方法であることが分かります。なによりも子どもの成長に繋がります。これはポツポツと広がりつつあります。
現在、多くの同志に、口説いて口説いているのは、ちゃぶ台作戦です。『学び合い』の際に机を置きます。そしてお茶とお菓子を用意し、参観する保護者と雑談するのです。これが教室の『学び合い』、学校の『学び合い』と成長した『学び合い』の次の段階である、地域コミュニティの再生の決定打であることを信じて貰えません。一度、一度、やってもらえれば分かるのに~・・・・・
私は「おもいつき」で人様に提案しません。ちゃんとした理論と事実によって提案しています。
■ [大事なこと]説得
今回のツアーで色々な方からの質問に応えました。私の説明は学校観、子ども観に対応することに集約されます。その中で、一番難しいのは学校観です。しかし、そこさえ分かって貰えれば、子ども観や授業観は導かれることですから。
『学び合い』に対して疑問を持たれる方への私の応えは定型化されています。まず、その方の言われる『学び合い』の問題(?)に関して、その方の現状で問題なかったかを聞きます?そのことを言われると、大抵の方は今までにも問題はあったことが分かります。次に、実際に子どもの顔と名前を思い出して貰い、現状の指導がフィットしている子どもはどれだけかを確認して貰います。そうすれば多くて3割程度しかフィットしていないことが分かります。それを十割に近づけるには、子ども集団の力を利用するしかないことを語ります。
また、多くの先生方の視野が「その時間の授業が分かるか否か」のレベルに留まっています。結果として対処療法しか思いつかないのです。しかし、対処療法で出来るのは、その問題を見えにくくする以上のことは出来ません。結果として、いつまでたってもコマネズミのように子どもに振り回されることになります。そのような方には3ヶ月のスパンで、そして1年のスパンで根治療法をすべきであることを語ります。
その先生の授業力があったり、逆に、子どもの反応に鈍感であったりする場合、自分の授業やクラス経営がうまくいっていると誤解してしまいます。その場合は、その人の手を離れた後、そして、十年、数十年先の子どもの幸せを考える必要があることを語ります。
子どもの一生涯の幸せとは何か?そして、それをもとに今日、この時間の授業を組み立てられる教師を増やしたい。
現状の99.9%の教師は、それを建前論と考えています。だからちゃぶ台作戦のものすごい可能性に分かって貰えない。