■ [大事なこと]何が大事か
ある県の、それなりの立場の方に語ったことです。
NRTや全国学力調査で一喜一憂する必要はありません。その県独自の価値観を前面に出すべきです。例えば、高校3年、中学3年の子どもに無記名で調査をするのです。「最終的には地元にもどり、地元の発展に寄与したい」ということに○を書く子どもの数で教育の質を語るべきです。教育で一番大事なのは、どのように教えるかではありません。何を目指すかです。
■ [大事なこと]本当のメダル
オリンピックのたびに書くことです。我が国のような熟成した国においてオリンピックのメダル数に一喜一憂することは無いです。我が国、我々がパラリンピックに着目すべきです。そこには、その国の目指すべき姿があると思います。
■ [親ばか]バレンタインチョコ
食後、我が膝でデザートを食べる息子が私に相談したのは、チョコをいるらもらえるか、です。私の中学生の頃を思い出せば、当然の思いです。で、大人の視点で説明しました。ポイントは、送る側の気持ちになってみろ、です。責任の重さが分かって「う~ん」とうなる息子です。
■ [大事なこと]マンガ
前からマンガ版の『学び合い』の本は出来ないかな?と思っています。『学び合い』は大人の社会では行われています。え?と思われるかもしれませんが、「多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決する」ということは、企業や政治の世界では当たり前のことですね。
ということで、島耕助シリーズのヤングから社長、加治隆介の議全巻を一気に読みました。前にも読みましたが、今回は『学び合い』の理論で意識的に読みました。重なる部分もあります。ハッキリとした方針をぶらさない、ということは一致しています。
が、違うところも見えます。第一に、主人公中心です。主人公の方針に基づき、部下がどのように考え、行動したかが見えません。その結果として、部下集団への評価とフィードバックが見えません。
また、部下集団がやりやすい環境の整備が見えません。『学び合い』の場合の環境の整備とは、部下が使うであろうツールを多様にアクセス出来るようにする、特に最高のツールである多様な人にアクセスできるようにする、ということが見えません。
つまり、管理者がやるべき、目標の設定、評価、環境の整備の3つのうち一つしかやっていないのです。
こう考えると、『学び合い』を漫画で描くとしたら、今までとは全く違うマンガになることが分かりました。
追伸 全巻を一気に読んで感じましたが、島耕作シリーズも加治隆介の議ももう一度読みたいとは思わなくなりました。理由は主人公が家庭をないがしろにして、家庭を崩壊させているからです。
■ [大事なこと]出来ること
ゼミ生によく言うことです。物事を成す人は、出来ることを探す。物事を成さない人は、出来ない理由を探す。どんな状態でも、出来ることはあり、出来ないことはある。ようは、どちらに視点を向けるか。
そして、問題があると、それを一気に完全に解決したいのは人情です。その無理なことを願っていたら、イライラが募り、投げ出したくなるのは私も同じです。でも、一気に完全に解決することはたいていの場合は無理です。出来るのは、徐々にましになることをずっと続けるしかありません。そして、時には問題を先送りして、冷却するしかありません。
最近の私の毎日です。
朝5時に起きてコンピュータを立ち上げます。そして、昨晩のうちに来たメールやFBのコメントに対して返信を書きます。
6時頃になると家族が起き出します。ねぼすけの息子を起こします。息子は着替えが終わると新聞を見ます。6時45分には新聞読みを終わらせ、勉強するように促します。7時15分ごろ食事を食べます。7時35分ごろご馳走様して、身支度をして7時45分に家を出発します。8時に大学の研究室に到着します。
午前中は一番頭が動いているので、大学関係の難しい書類、本の原稿を中心に書きます。11時半に学生さんと学食で食べます(私は家内のつくってくれた弁当です)。
12時からは、比較的ルーティンな作業で解決する課題を取り組みます。具体的には、講演会のプレゼンや、全国から来るお悩みメールの大多数を占める定型的な質問(『学び合い』ステップアップとジャンプアップに書いていること)への返信をします。
3時頃に一段落して、学生さんの部屋で馬鹿話をします。それが終わってから研究室に戻ります。この頃には頭は動かなくなっているので、大学関係の些細な書類書きが中心です。6時45分に大学を出発します。
7時に家に到着です。直ちに息子と一緒に風呂に入ります。風呂から上がってから、メールのチェックをして、残った仕事をします.8時頃に夕食です。9時頃終わります。息子は勉強し始めます。私は仕事。10時に息子と一緒に寝ます。
以上が私のやっていることです。この中に、学生さんの個人指導と授業が入ります。そして、時に参観者への対応や講演ツアーが入るのです。
でも、何か劇的なことをやっているでしょうか?ありません。でも、毎年、二十人以上のゼミ生を指導し、学術論文を生産しています。本を毎年出し、全国に講演に行きます。それも家庭を大事にしつつです。何故でしょう。
ポイントは、第一に、やり続けていることです。例えば、私は全国からのお悩み相談メールには絶対に誠意ある回答をすることを自らに課しています。
第二に、今できることと、出来ないことを峻別して、今できることをします。出来ないと思うことの中にも出来ることがあります。そして、出来ないことは先送りします。
第三に、一人で仕事をため込みません。私のゼミは完全無欠の『学び合い』で運営されています。私しか出来ないこと以外は、全部、ゼミで解決しています。逆に、私が書かねばならない大学関係の書類の中で定型的な書類や、ゼミ生さんのほうが書くのが適切と思われる書類は、全てゼミ生さんが書いています。これによって大学に出す書類の9割以上を私はしなくてすみます。その結果として、私だけが書ける書類である1割に、普通の教員の十倍のエネルギーを費やせます。
第四に、繋がっている人に愚痴を言います。相談します。
追伸 第三、第四を出来るためには「志」が必要です。自分だけの問題意識では、だれも手助けしてくれません。
■ [大事なこと]落ち込まない方法
私は失敗に弱い人間です。それを自覚しています。そのため失敗を避けるために細心の注意をしています。
『学び合い』の同志の中には、私に似た人が多いと思います。その人の気持ちがよく分かる。以下を再度アップします(http://goo.gl/fvpC3)。
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私のところには、日本中から色々な相談メールが来ます。そして、ゼミ生からも相談を受けます。その中には落ち込んだ方よりの相談があります。その方々へのアドバイスはほぼ同じです。
最初にアドバイスするのは、落ち込んでいることが最悪な状態になった場合を具体的に想像して下さい。おそらく死ぬことはないでしょう。そしてケツをまくったらクビになることはないでしょう。そして、1年後には過去のことになるでしょう。これが進行したらどんなことになるのか・・・、と恐れますが、具体的に最悪の状態を思い浮かべないのが普通です。だから、怖いのです。そして、それを覚悟しましょう。それほど凄いことではないはずです。そして、自分が思うほどうまくいきませんが、自分が恐れるほど悪くはならないものです。つまり、自分が覚悟したほど悪くはなりません。
まず最悪の状況を具体的に想像することです。そして、それよりは「まし」になる手を少しずつやればいい。直近の善後策は、後手後手になる可能性はあります。しかし、最悪にはならない手は、かなり余裕を持ってやれます。
逆に直近の善後策は、それが良い方向に行くことが確信できないほどゴチャゴチャしたらしないほうがいい。やればやるほど何が何だか分からなくなります。少なくとも数日は何もしない方が良い。血の上った頭でやることで良い手だてが浮かぶ可能性はありません。どうしても何かしたいならば、近くの同僚に代わりに対応することをお願いしたらいい。岡目八目で自分がやるよりは良い手を打ってくれます。もし、そのような同僚がないならば、先ほど書いたように数日は何もしない方が良い。そして、それで駄目だったら数週間何もしない方がよい。そして、それで駄目だったら数ヶ月何もしない方がよい。そして、1年たてば問題は解決します。
次に落ち込まない方法です。
落ち込む人の特徴として、一点集中の方が多い。絶えず、5つ以上の良い企みを持つことを勧めます。そうすれば何かが失敗して落ち込んでも、気を紛らわせることがありますから。ただし、それらの企みは同じレベルのことでは駄目です。例えば「自分の職場」レベルのことばかりだと、それらは同時に駄目になりますから。「自分のクラス」、「自分の学校」、「自分の県」、「日本」というようなレベルを変えたものを含ませるべきです。例えば、日本レベルの企てとしては、それを実現するための予算を獲得するために、助成団体に申請する申請書を書くなどは、とても面白いですよ。少なくとも宝くじよりも当たりは高いしワクワクします。
しかし、このような複数の仕事を並行してやれるにはコツがあります。まずは良い仕事をしようとするより、7割の出来で良いから早く仕上げることです。最高の仕事をしようとしても時間がかかるだけのことです。多くの仕事をすれば、当たりもあるものです。それよりも「未完」の最高の仕事は「0」なのですから、7割の仕事の方が良いに決まっています。
また、人と一緒にやればいい。自分一人の仕事を1つやるより、二人で2つの仕事をする方が良い。それよりも十人で10の仕事をすればいいのです。その際、多様な仕事をするためには、同僚ばかりではなく、他校、他県の仲間と繋がればいいのです。落ち込んだときは、特に、そのような仲間と繋がった仕事をした方が良いと思います。先に書いたように、いじくってもしょうがないときはいじくらない方が良い。しかし、何もしていないと、いじくってもしょうがないことをいじくりたくなるものです。とにかく何か仕事をすればいいのです。
出来ないことはありますが、出来ることはあります。愚痴や自己憐憫は、精神衛生上、重要なことです。私もします。しかし、それらは「先延ばし」する以上の機能はありません。とにかく「今」別なことをやることです。
最後に。
私は本当に落ち込むことが怖い。私の生涯で17歳と21歳と23歳と30歳に最高に落ち込んだことがあります。それは数年にわたるほどのものです。毎日、天井を見上げ、それが岩であればと願いました。それが落ちたら苦しまずに死ねるのではないかと思い続けました。今思い出しても身の毛がよだつ。だから、落ち込むことが本当に怖いのです。だから、私は落ち込まないように細心の注意を払います。
私はかなり大胆なことをしています。事前に色々と考えています。私のゼミ生だったら分かると思いますが、私は一見無茶苦茶ことをいいます。しかし、最悪でもどれだけのことが出来るかということを考えています。それを立て板に水のように語り、最後に「出来ない理由は?」と言います。私は無茶なことではなく、出来ることしか言いません。そして、リスク管理として、それに関して、客観的にものを見られる仲間に、ゴチャゴチャと事前に一杯相談します。それも複数人。
私は落ち込まないように、最悪の状況は何かを常に想定しています。そして、落ち込まないように、上記のことを常にしています。だから仕事が早いのです。だからメールの返信は早いのです。常に、今できることをやり続けているから。残念ながら、そうしている人は多くはありません。でも、自分が落ち込みやすいタイプだと思ったら、上記をお勧めします。
追伸 何度も書いていることです。