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2014-03-25

[]イエナプラン、サドベリー・スクール 18:00 イエナプラン、サドベリー・スクール - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - イエナプラン、サドベリー・スクール - 西川純のメモ イエナプラン、サドベリー・スクール - 西川純のメモ のブックマークコメント

 うちのゼミ生がイエナプランを学びにオランダに行きました。行動力に脱帽です。日本においてイエナプランの素晴らしさを広げたリヒテルズ直子さんは、 『学び合い』の会にも講演にいただいた方です。異学年教育を積極的に取り入れるなど、 『学び合い』と重なる部分が多く、共感しておりました。

 でゼミ生が、イエナプランと 『学び合い』とはどこが違いますか?と質問してきました。正直、ドキリとしました。というのは、私は基本的にそのような比較をしたことがなかったのです。

 私なりにまとめてみました。ただ、私の誤解も多いと思うので、私のメモを読まれている方の中には、よくご存じな方も多いと思いますので。誤解があれば、教えていただきたいのです。あくまでも、感じ、のレベルで、学術的な裏付けがあるわけではありませんから。

 違いの第一は、 『学び合い』は「一人も見捨てない」ということが出発点です。それに対して、イエナプランは理想の教育を目指しているところが違うように思うのです。これはサドベリー・スクールにも共通しています。

 第二は、 『学び合い』は学術データに基づき構築されていますが、イエナプランやサドベリー・スクールの場合は「そうあるべきだ」というものが先行しているように思うのです。

 イエナプランやサドベリー・スクールで書かれていることは 『学び合い』をものすごく重なります。しかし、読みながら思うのは、その教育には入れない子どもがちらつくのです。

 例えば、「イエナプラン教育の20の原則」の大部分は民主主義の基本的人権に関わる事であり、これはイエナプランかどうかのものではなく、民主国家の公教育のよって立つべき基本だと思います。

 ところが方法論になると、違うな~っと思うのです。

 例えば、「学びの場(学校)では、子どもたちがお互いに学びあったり助け合ったりすることができるように、年齢や発達の程度の違いのある子どもたちを慎重に検討して組み合わせたグループを作ります。」とあります。省略していますが、この「組み合わせたグループを作る」の主語は教師です。しかし、私の知る限り、最適なグループを作り得る学術的根拠を知りません。 『学び合い』の場合は、最適なグループはその場その場で形成されるものだと思っています。

 以降の原則1720も、まあ、望ましいとは思うのですが、全員にとって合っているかな~っと思うのです。(もちろん、イエナプランがインクルーシブであることはよく承知しております)

 サドベリー・スクールなどはそれが顕著で、「子どもは生きていく上で必要のあることは自分で学んでいくことができる」という前提ですが、そうできない子どもはいるだろうな~っと思うのです。

  『学び合い』の場合は、 『学び合い』の基本理念を本当に理解し、行動するのは2割程度と見切っています。そして、2割の子どもは、最後まで分からないだろうと見切っています。そのことを前提として一人も見捨てられない教育を実現することを目指しております。それが成り立った後に、理想の教育を構築しようと考えています。

  『学び合い』の場合は、一人一人が違うことを前提としています。だから方法の縛りは、極力、少なくしています。というのは、全員にフィットする方法はないと考えているからです。従って、学び合わないということも、 『学び合い』ではOKです。

 という違いがあるものの、共通点が多いのは、その基本としてものが似ているからだと思います。それは人間の人権に関する考え方です。ただ、イエナプランの場合はその原則の1~10がそれに当てられているのに対して、 『学び合い』の場合は「一人も見捨てない」だけなのです。では、その一人も見捨てないの見捨てられない物とは何でしょうか?イエナプランでは「価値」であり、「権利」です。その通りだと思います。ただ 『学び合い』の場合は、見捨てて欲しくないものは何かを決めるのは本人だと思います。そして、周りがどれだけ見捨てないかを決めるのだと思います。だからあえて「一人も見捨てない」と簡単に記述しているのです。

 と思うのですが、教えて下さい。

追伸 いずれにせよ、入り口は違っても、最終的に到達したい姿は極めて似ていると思っていますし、私は大好きです。ただ、私はどこまでいっても理系人間なのです。

[]長野講座 12:43 長野講座 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 長野講座 - 西川純のメモ 長野講座 - 西川純のメモ のブックマークコメント

上越教育大学教職大学院は長野県教育委員会と連携して、連続講座を行いました。

http://www.juen.ac.jp/kj/20140325.pdf

7月5日に私もやります。赤坂さんの講座を聴くついでに私も聞きに来て下さい。

[]意外に役に立っている 07:10 意外に役に立っている - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 意外に役に立っている - 西川純のメモ 意外に役に立っている - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の大学学部1年の大部分は、解析学・線形代数学・位相幾何学の勉強に費やしました(生物学専攻なのに、変な学生でした)。しかし、今は使っていません。

 一方、一度だけ教えて貰ったのに、今でも頻繁に使っているものがあります。例えば、プリントの枚数を数える方法です。高校の生徒会の時、生徒会担当のある先生から、「3枚、3枚、4枚」で数える方法を教えて貰いました。それは今でも役に立っています。

 私が小学校高学年の時、叔母が勤めている出版社の雑誌の発送の手伝いをしました。そこで冊子をヒモでくくる方法を教えて貰いました。

 本日、資源ゴミとして新聞紙や広告をヒモでくくりながら、役に立っているな~っと四十年以上前のことを思い出しました。

[]管理職 07:10 管理職 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 管理職 - 西川純のメモ 管理職 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 管理職には2種類います。部下と同じことをしている下級管理職。会社だったら主任、係長で、学校だったら先輩、学年主任にあたります。一方、部下と違うことをしている上級管理職。会社だったら社長や取締役で、学校だったら校長です。二つの管理職に求められる職能は違います。前者は、部下のやっていることに関しての職能なのです。後者は、その組織の進むべき方針を明らかにして、任せる能力が必要なのです。

 私は色々な研究をしています。その中には校長の研究もあります。例えば、色々な教師にお仕えして良かった校長と、そうでない校長をインタビューしまくった研究があります。また、校長が替わった後の職員室の雰囲気の変化を、出入りの業者のインタビューで聞き出した研究があります。面白そうでしょ。それによれば、出入りの業者が来たときに今までだったら「ご苦労様でした」といっていた先生が、無言に変わるそうです。あはははは

 それによれば、良い校長は、見事に『学び合い』のセオリーに一致します。

 現場の中で評価の高い教師の中にも二種類います。第一は下級管理職として子どもに接する教師です。これが大多数です。つまり、細かい手立てをよく知っており、それを絶妙に繰り出すことが出来る。そのため子どもたちの成績は高いし、問題も起こさない教師です。一方は、ぼや~っとしていているようで、何故か子どもたちの成績は高いし、問題を起こさない教師です。いわゆるクラス経営の上手い教師です。

 さて、その教師が年齢を重ね、管理職になります。前者の教師の中には、そのままのスタンスで管下の教師に接します。つまり、ホウレンソウ(報告・連絡・相談)を求める校長になるのです。指示は細かいし(逆に言えば、丁寧)、チェックも細かい(逆に言えば、丁寧)になります。このような管理職のもとでは管下の職員は依存的になり頭を使わなくなるか、学級崩壊のように管理職に反発します。

 で、何を言いたいかと言えば、『学び合い』の授業を出来る人が管理職になって欲しいのです。それは20歳代の人もです。その方法は、「7つのルール」に書きました。