■ [親ばか]感謝
どんなに夫婦喧嘩をしても、家内から「結婚しなかった方がいいの?」と聞かれたら、どんなに怒り狂っても「結婚してくれてありがとう」と言えます。息子がどんな酷いことをしても、息子に「生まれてくれて有り難う」と言えます。少なくとも家内と結婚して二十年、息子が生まれて十四年、例外はありません。
■ [親ばか]こどもの日
32歳で結婚し、子どもが授かりませんでした。7年後、妊娠検査薬が陽性になりました。嬉しくって腰が抜けることがあることを知りました。
14年前のこの日、22時に妻の陣痛が始まりました。一晩中、家内の背中をさすりました。16時に子どもが生まれました。というとこで、今日はこどもの日、明日は息子の日です。
■ [大事なこと] 『学び合い』帝国主義
理系の学部には物理帝国主義という言葉があります。それは物理学、特に理論物理学の人が、化学、生物学、地球科学を自分たちより一段低く見下げる人がいるからです。そういう人がいると鼻持ちなりません。
しかし、自分の言動がそれと似たように思われているのではないかと感じます。ところが、不遜にも物理学の人が物理が最高と考えるように、私は 『学び合い』があらゆる面で「まし」、それも「かなりまし」と思い込んでいます。どう考えても嫌われる。
だから議論したいのです。そして、私の鼻をへし折って欲しい。それによって次の次元に進めるのです。ところが、議論しようとしても私の前で簡単に引き下がったり、逆に、感情的になってしまう人が多いです。そのため実り多い議論が出来るのはまれです。
ということで、本年度の大学院の授業は大幅リニューアルしました。履修者に私をへこますことを課題とするのです。学生さん対私の1対1ではすぐに私が勝ってしまいます。そこでハンディとして、グループで立ち向かってくることをOKとするのです。さらに、一度引き下がっても、何どもでも再度理論武装をして立ち向かってくることを歓迎します。それに私の議論の仕方に関して、完全に手の内をさらしてです。さて、楽しみです。が、私には負ける気が全くしないのです。でも、負けたら楽しいし、学べる。今週の金曜日から始めます。ワクワクです。
ちなみに、学生さんに配ったプリントの内容は以下の通りです。
議論のルール
西川に従来指導型授業の卓越性を納得させることが、このディスカッションの目的です。従って、納得したか否かの判断は西川が行います。ただし、出席者の3分の2が学生の方の論が正しいと認める場合はその限りではありません。
学習指導要領で定められた最低限の学力と居心地の良い環境を全ての子どもに保証することを第一優先とします。従って、一部の子どもを除外する議論は今回の議論の範囲外です。
子どもを一人も見捨てないと同時に、教師も一人も見捨てません。一部の子どもや教師を切り捨てる議論は今回の議論の範囲外です。例えば、「教師はそうすべきだ、そう出来ない教師は辞めるべきだ」という議論は今回の議論の範囲外です。
『学び合い』はパーフェクトと主張しているのでは無く、従来より「まし」であることを主張しています。
以下は対象としていません。
子どもが乳児(乳児は親子のコミュニケーションが中心になるので)
子ども集団が全体で十人以下(『学び合い』が機能するためには一定人数は必要だからです。)
教師がコントロール出来ない個人(管理職や保護者)に起因する問題。(『学び合い』は集団を動かす理論であり、個人には適用出来ません)ただし、職員集団、保護者集団は集団ですので除外しません。
グループ人数は自由とします。また、一人でもOK。また、グルー編成は固定しません。つまり、自由。
同じ議論を別の日に繰り返すことを妨げません。別の班が行うことを妨げません。
授業時間に集まって議論する。議論出来ると思った時に申し出て下さい。その際、他グループは議論をいったん止め、議論を聞いて下さい。
議論の申し出は11時15分までとして下さい。それ以降は次回に申し出て下さい。前のグループの議論が11時15分以降になった場合も同じ扱いとします。
なお、「従来は出来なかった、これこれは 『学び合い』では出来るか?」はOK
手の内
『学び合い』に対して様々な疑問を受けます。当然です、今までと見た目がかなり違いますから。みなさんも同様」な質問を受けると思います。以下が私の定型的な応え方です。
まず、「『学び合い』をすると丸写しをする子が生まれるのではないか?」のような「『学び合い』では●●がおこってしまうのではないか?」という疑問と、「『学び合い』で本当に分かるのか?」のような「『学び合い』では●●はできるのか?」疑問が典型的です。
まず、前者に対する対応法です。
「では、今までの授業で●●はおこっていないのですか?自由にさせたとたんにそれがおこるならば、子どもの本質は●●なんではないですか?そのような子どもに指導して変わりましたか?変わらなかったですよね。それはしょうがありません、そのような子どもは歴代の担任が同じように注意して、改善しなかった子どもですよね。あなたとでは無く、教師と相性が無いのですから、どうしようもありません」と話します。
これに対しては、「私は出来る」、「それは教師がすべきだ」という反応があります。その場合は(1)に進んでください。「なるほど、今までの授業でも改善できないよね」という場合は(2)に進んでください。
(1)「たしかにあなたならば出来るのかもしれません。しかし、あなたの次の担任の時はどうしますか?進学先ではどうしますか?」と言います。
これに対しては、「私は出来る」、「それは教師がすべきだ」という反応があります。その場合は(1-1)に進んでください。「なるほど、今までの授業でもそのレベルは改善できないよね」という場合は(2)に進んでください。
(1-1)「素晴らしい。あなたは『学び合い』で無くても良いと思います。でも、そうできない教師もいます。『学び合い』はそのような教師のためにあります」と言って議論は終わりです。先のルールに書きましたように、一部の教師を切り捨てる議論は今回の議論の範囲外です。
(2)「『学び合い』は現状の問題点を教師の管理下で露わにして、教師の管理下で解決する根治療法をする教育です。では、どのように解決するか?教師がその子を変えようとしても無理です。でも、教師の言うことを聞く子どももいます。その子たちが中心となって、一人も見捨てない学習集団を育成します。あなたが気になる子どもは教師の言うことを聞かないかもしれませんが、クラスメートの言うことは聞きます。そういう仲間を創れば、進学先でも社会に出ても問題を軽減する可能性があります。教師が先読みして手立てを講じれば、問題が起こらないようにすることも出来るかもしれません。しかし、それは問題を先送りする対処療法です。『学び合い』は根治療法を願っています」と語ります。納得するか否かは別で、このようになればたいていの場合は、話の筋は通っていることは分かって頂けます。
「『学び合い』で本当に分かるのか?」のような「『学び合い』では●●はできるのか?」という疑問に対する対応法です。
「では今までの授業で●●はできていましたか?クラスの中には東大に行きそうな子どもがいる一方、知的な障害が疑われる子どもがいます。子どもたちは毎日毎日の授業のたびに、様々な疑問を持ちます。文科省の統計によれば子どもの3割は塾・予備校・通信教材・家庭教師で学んでいます。そして、多くの教師は成績中の下に合わせた授業をします。ということは3割近くの子どもにとっては、退屈な授業となっています。その子にはより高度な学習を与えるべきですね。でも毎時間、発展教材を用意したら、教師がパンクしてしまいますね。」と聞きます。
これに対しては、「私は出来る」、「それは教師がすべきだ」という反応があります。その場合は(3)に進んでください。「なるほど、今までの授業でも改善できないよね」という場合は(4)に進んでください。
(3)「たしかにあなたならば出来るのかもしれません。しかし、あなたの次の担任の時はどうしますか?進学先ではどうしますか?」と言います。
これに対しては、「私は出来る」、「それは教師がすべきだ」という反応があります。その場合は(3-1)に進んでください。「なるほど、今までの授業でもそのレベルは改善できないよね」という場合は(4)に進んでください。
(3-1)「素晴らしい。あなたは『学び合い』で無くても良いと思います。でも、そうできない教師もいます。『学び合い』はそのような教師のためにあります」と言って引き下がります。先のルールに書きましたように、一部の教師を切り捨てる議論は今回の議論の範囲外です。
(4)「子どもたちは一人一人、違った学びを必要としています。それらに一人の教師が対応することは不可能です。理屈は簡単です。一校時をクラスの人数で除してください。1分少々ですね。さらに授業の大部分が1種類の説明で押し通したとしたら、個別支援が出来るにはごく僅かの時間です。それをクラスの人数で除してください。十数秒ですよね。これは無理だ。どんなに教師の指導が優れていたとしても十数秒では無理ですよね。例えばです。アフリカの飢餓地域に千人分の高級栄養食材を送るのと、そのお金で十万人分のくず米を送るのでは救われる子どもはどちらが多いでしょうか?取り出した1、2人に放課後1時間の指導をするのより、毎日、子ども同士が教え合う方が良いのでは無いでしょうか?第一、本人が勉強する気が無ければ全ての教材や指導法は無効です。逆に、本人が勉強する気になればどんな教材でも有効です。では、いままで勉強する気を持たなかった子に持たせるにはどうしたらいいでしょうか?おそらく、様々な教師が指導して無理だった子だと思います。だったら、同級生の「一緒に勉強しようよ」の方が可能性があるのでは無いでしょうか?さらに今まで「もう分かっているよ・・・」と思っている学習済みの子どもは教えることによって学びます。教えることが勉強になることは教師が一番分かっていることだと思います。そして、周りの子どもから「ありがとう」と言われます。勉強は出来るが、対人関係が不得意な子どもが周りとつきあい始めるきっかけになるのではないでしょうか?少なくとも現状よりは「まし」だと思います。もちろん、先生が育てたいと思っている教科の本質の部分は直ぐには教えられないかもしれません。でも、それを授業で扱うためには、クラス全員の底上げをしてからだと思います。そうでなければ、クラスの一部だけが分かって、最後に数人から素晴らしい発言があってめでたしめでたし、という授業になりかねません。もし、クラス全員が一定レベルの学力が保証されたならば、素晴らしい授業が出来ると思います」と語ります。納得するか否かは別で、このようになればたいていの場合は、話の筋は通っていることは分かって頂けます。
以上が私の手の内です。
■ [大事なこと]理想の学校
上越教育大学の教職大学院は数年をかけて制度設計をしました。実際に動きはじめて7年目に突入しましたが、我ながら理想に近い学校が出来たと思っています。
教職大学院の必修科目は詳細に決められています。(大学の科目の縛りは科目名ぐらいなのですが、それとは大きな違いです)その科目は専任スタッフ全員で分担しています。一人で分担すると、学習者との相性によっては不幸なことになります。そして、その講義の半分以上は学習者同士の協働で行われるようになっています。具体的には、発表を聞いている院生が相互に関わるような発表を、院生がチームになり発表を準備します。その発表準備と評価を専任スタッフが分担するのです。
選択科目は各専任スタッフが自分の専門を生かした講義をたてて、院生はそれを選択します。
院生は専任スタッフの中から一人を選び、そのチームに入ります。教育実習は専任スタッフが学校と交渉し、実習内容を調整します。そして、院生はチームで入ります。が、これが他の教職大学院との最大の違いで、説明してもなかなか分かって貰えません。分かって貰ったとしても、「そんなことが可能なのか?」と聞かれます。
というのは多くの場合、学部の実習の延長上の実習をしているからです。具体的には、実習担当スタッフと講義担当スタッフが別々なのが一般的です。実習担当のスタッフは県との交流人事で補充される、現役の先生です。そして、一般的な教育実習をします。
ところが上越教育大学の教職大学院では専任スタッフの特長を生かした教育実習をします。つまり、私の場合は『学び合い』の実践を中核とした学校づくりの実習をするのです。
その話をすると、「そんなことが可能なのか?」と大学関係者は聞きます。何故ならば、普通は専任スタッフとは別な実習担当が実習を担当するから、そこまで専門的な実習は出来ないからです。しかし、上越教育大学の教職大学院は、専任スタッフが実習校と直接交渉し、実習内容を詳細に調整するから出来ます。が、「そんなことが可能なのか?」と大学関係者は聞きます。でも、それが出来るのは本教職大学院の特徴があるからです。
第一に、上越教育大学は地元の先生方の熱烈な陳情によって誘致された大学です。そのため、開学以来、地元学校の全面的なバックアップを受けています。例えば、本学は学部1年から様々な実習をしていますが、それらの大多数は附属学校以外の地元の学校でやっています。おそらく、全教育実習の八割以上は附属学校以外で実施されています。結果として、地元の学校は教育実習の経験が豊富です。それほど、地元学校が本学に協力的なのです。
第二の特徴は、スタッフです。多くの人には分からないと思いますが、全ての中学校の教科科目と小学校の免許を出すには最低限八十人ぐらいのスタッフが必要です。そして、圧倒的大多数の大学は、そのギリギリの人数で運営しています。その大学が教職大学院を新設しようとした場合、スタッフ数に余裕が無いため今まで既存修士を担当した人が横滑りすることになります。そして、既存修士を担当する人は既存修士にフィットした人です。つまり研究者なのです。だから実習を担当出来ません。だから多くの大学では専任スタッフと実習担当を分けています。
ところが上越教育大学は全スタッフ160人で多くの大学の2倍のスタッフがいます。結果として、既存修士担当していた教員の中に教職大学院にフィットする人の数が多いのです。そして、スタッフ数が多いので、新規採用出来る人数も多くなります。結果として、上越教育大学の専任スタッフの殆どは現場経験があり、かつ、学術研究の業績もある人で固めることが出来たのです。つまり、学校と直接話せる専任スタッフなのです。
第三の特徴が、日本でも希な現職教員の再教育を大きな使命としている大学だからです。それも1年間は大学、1年間は現場という14条特例ではなく、2年間フルに大学院に在学出来る現職派遣だからです。そして、その現職派遣の院生と学卒院生がチームになって実習校に入るのです。
若い学卒院生が就職してから必要なのは何でしょうか?優れた教材の能力でしょうか、優れた指導法の能力でしょうか?それはあった方がいい。でも、たった2年で学べるのは限りがあります。どんな学校でも大丈夫の教材や指導法なんて、無理です。では、若い学卒院生が就職してから必要なのは何でしょうか?それは、就職した学校の先輩教師とつきあえて、助けて貰える能力だと思います。ところが若い学生は、そのような経験はありません。せいぜい、部活でプラス3年ぐらいの人とのつきあい方ぐらいです。就職してから必要な10歳、20歳年上の人とのつきあい方は学んでいません。それを現職教員とチームになって学校に入ることによって学べます。
では現職派遣の教師が大学院で学ぶべきものは何でしょうか?優れた教材の能力でしょうか、優れた指導法の能力でしょうか?それはあった方がいい。でも、それがある程度以上ある人だと認めたから公費を費やして大学院に派遣しているのだと思います。そのような人が学ぶべきは、本人の能力を高めるよりも、周りの人、特に若い人の能力を高める能力だと思います。ところが、現状の学校の年齢バランスが崩壊しているので、現職派遣される年齢にも関わらず、今まで常に若手の位置を占めていた人は少なくない。それを若い学卒院生とチームになって学校に入ることよって学べます。
知らない学校で実習すれば、周りの先生方に伝えるというトレーニングにもなります。何よりも現任校での実習だと岡目八目になれず、冷静に分析することが難しいと思います。
ただ、これが上手く機能するためには専任スタッフが重要です。単純に学卒院生と現職院生を組み合わせれば、教育実習の指導教員の役目を現職院生が担うことになります。そして、現職院生に丸投げになってしまう危険性があります。結果として現職院生も学卒院生も不満を持つようになります。酷いときには大げんかをします。それを避けるためには、専任スタッフが校長の立場でチーム全体を管理します。それによって現職院生と学卒院生が先輩教員と後輩教員の同僚関係にすることが出来ます。
つまり本学教職大学院のスタッフは、研究者であり、授業者であり、かつ、校長であることを求められるのです。だから、「そんなことが可能なのか?」と他大学の大学関係者から聞かれるのです。
私が本学教職大学院の最大の売りはスタッフであり、自慢のスタッフだと言う理由は上記の通りです。