■ [大事なこと]損得
『学び合い』では「一人も見捨てない」を大事にします。となると、博愛主義のように思われると思いますが、損得勘定なのです。
私は教師を三十年間やっています。その中で、積極的に「私」が関係を断った子どもが一人だけいます。それは『学び合い』を追求し始めた後のことです。その時は大変でした。
とにかく大変な子です。あらゆる常識が通じません。私も色々な学校に入って、色々な子どもを見ていますが、それを超えています。例えば私は暴走族を教えたことがありますが、彼らは人としては至極まっとうな子どもです。腹を割って付き合って付き合える子どもです。関わる学校で様々な子どもに出会いますが、愚かとは思いますが、共感は出来ます。ところが、その子はそういう子ではありません。小中高の先生だったら、「大学に行くほどなんでしょ?」と思うでしょうね。でも、人としてつきあえない高学歴の子はいます。
それ以前の段階で、ある研究がありました。その研究によれば、ある集団の中に能力的に低い子がいました。最初はリーダー格の能力の高い子どもがサポートするのですが、1ヶ月を超える頃に耐えきれずになります。そして、リーダー格の子どもが攻撃しはじめるのです。そして、数ヶ月で耐えきれずにその集団から逃げます。問題はその後です。能力の低い子がいなくなった後、その他の子どもがその集団から逃げるのです。何故かと言えば、数ヶ月にわたってリーダー格子どもがどのような行動をしているかを見ているのです。そして、能力の低い子がいなくなった後に、自分がその攻撃を受けることを恐れて逃げるのです。
そこで、我がゼミの学生は必死になって、その学生をサポートするのです。そして、私に「我がゼミは一人も見捨てないゼミです。絶対に見捨てません」と言いました。私が関わった学校の子どもの場合、このようになった場合、その子の扱い方を学び乗り越えられます。しかし、どう考えても無理だと私は判断しました。そしてゼミ生の反対押し切り、「私の判断で切る」と宣言し、切りました。
当然、私も切った後に研究室が崩れることを恐れました。でも、その危険性を分かった上でも教師として切ることを決めたのです。ところが、研究室は崩れませんでした。
そこで分かりました。究極のところで大事なのは「一人も見捨てない」ということではなく、「一人も見捨てない」ということをどれだけ集団が合意して、どれだけそのために行動したかです。ギリギリまで行動した集団は崩れません。もちろん、私が「切った」後も、ゼミ生はその学生との関係を遮断したわけでも無く、私も遮断しません。つまり関係を0にしません。しかし、自分たちに不都合の無い程度まで0に近づけました。
一人も見捨てないは、見捨てられる側の利害ではありません。見捨てる側が、安易に見捨てると自らの利害に反することを理解すべきなのです。『学び合い』で求めるのは仲良くなることではありません、「おりあい」をつけることです。当然、「おりあい」の結果として関係が0に近づくことはあります。しかし、0は損なのです。
『学び合い』なんだから、自分は当然の権利として見捨てられないと思う人がいたとしたら、それが誤解です。見捨てるか見捨てないかは個々人がその人との関係を自分の損得で判断しているのです。ただ、「おりあい」の結果、積極的に排斥することは無いでしょう。損ですから。でも、関係は限りなく0になる可能性があります。
ただ一般的には、集団全員が努力しつつも、集団全員が関係を0に近づけることは希です。大抵は、多くの人がその人に対して関係を0にすることはありますが、全員ではありません。人間の相性は様々ですから。ですので、上記に書いたことは私の教師人生でたった一人の事例です。
いずれにせよ、一人も見捨てないとは博愛主義とは違うことは明らかです。一人も見捨てない、と集団が合意することはメンバーにとって得なのです。
追伸 切る際に、その子を受け取る次の先生をお願いしました。次の先生は、だいぶご苦労されつつも1年間つきあいました。その子は、修了しました。その先生は私とは雲泥の差があるしたたかな先生でした。
■ [お誘い]講演・飛び込み授業
現在、私の研究室に大分県から派遣された院生さんがいます。以前から 『学び合い』を実践している方なのですが、自分の実践向上ではなく学校レベルで 『学び合い』を取り組む道を学びに大学院に進学しています。
普段は大分県の学校で、学校での 『学び合い』をサポートしております。私が九州に講演する際、飛び込み授業をお願いしています。かなりの数をこなしています。最近では青森の学校でも飛び込み授業をしました。
私は立場上、 『学び合い』に関しては原理原則を語ります。そのことが良い場合もありますが、フィットしない場合もあります。そのことから、むしろ我がゼミ生が語ったら良いのではないかと、かなり以前から思っていました。最近、ゼミ生が講演会を頼まれました。そのゼミ生は、我がゼミで1年半過ごし、嫌と言うほど私の講演と同行している方です。万全です。
しかし、このことは知る人ぞ知ることです。その院生さんはあと半年で現場に帰ります。ということは自由に動けません。
私が九州方面で講演ツアーするのは限られた期間です。その院生さんは基本的に大分で実践研究をしているので、日程調整がしやすいと思います。大分近県で飛び込み授業や講演を希望する方がおられたら、連絡ください。私がゼミ生さんと繋ぎます。私と違い、欲の少ない院生さんですが、自腹は勘弁してください。旅費等はしっかり用意してくださいね。