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2014-10-28

[]忙しいこと 21:42 忙しいこと - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 忙しいこと - 西川純のメモ 忙しいこと - 西川純のメモ のブックマークコメント

 以下で書くことは多くの方のかんに障ることかもしれません。書かない方がいいな、と思います。しかし書きたいし、書かねばならないと思います。

 財務省が35人学級を40人学級に戻すべきだという考えのようです。私は35人学級を42人学級にしてもよいし、50人学級にしてもかまわないと思います。

 怒らないで、最後まで読んで下さいね。

 35人を40人にして、どれほどの負担が増えるのでしょうか?増えないとは言いません。でも、35人でやっていることのいきおいで40人こなすのはそれほど辛くは無い。私も教員でしたから分かります。

 じゃあ、今の教員は忙しくないか。忙しいに決まっています。私が高校教師の時代に比べれば雲泥です。現場の先生の話を聞くと笑ってしまうほどです。じゃあ、何故、忙しいか?そこをちゃんと分析すべきです。子どもの人数なんて忙しさに影響は殆どありません。でしょ?

 私の時代に比べて忙しい原因は書類書きの多さです。だから、今の学校教育の質を高めたいならば、お上から求められる書類の数を半分にして欲しい。少なくとも、国、県、市の同じような書類は一括にして欲しい。書類の数が減らせないなら、事務職員の数を増やして、その人にお願いして欲しい。教員は定型的な書類書きに不得手です。少なくとも、それに燃えない。定型的な書類は事務職員の方が作成し、判子を押すだけにして欲しい。

 官制研修の数を減らして欲しい。昔に比べて自主的な研究会の力が弱い。自分が学びたいと思わない限り、研修は無意味です。行きたくも無いと思う研修をどれだけ充実しても意味が無い。昔は先輩から、「おい、こいよ」で始まりました。それを復活させたい。だから、自主的な研修会に援助すべきだ。

 上記に関わることですが、夏休みに研修を一杯入れて欲しくない。だからといって、私の時代のように戻せとは言いません。(言いたいですが)。せめて官製研修を減らして、学校に勤務するようにすれば良い。余裕を持った教員がうろうろとすれば、自ずと雑談が生まれます。同じ学校に勤める教員同士の雑談の方が身になる。

 私は40人学級に反対するよりは、上記を教員は主張すべきだ。というよりも、それなりの立場の方は、教員を守って欲しい。教員に余裕は必要です。少なくとも余裕の無い教員に良い教育は絶対に出来ません。

[]一致する 19:53 一致する - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 一致する - 西川純のメモ 一致する - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、教え子にして同僚のMさんが面白いことを話してくれました。

 つい最近、私と戸北先生との関係のエピソードとして、大学事務が戸北先生に判断を急いで頂かなければならないが戸北先生と連絡がつかない場合、私に連絡が来ることを書きました。私は事務の方から相談を受けると、直ぐに判断します。そして、その判断を事務の人は信じてくれます。事務の人には、「あとで戸北先生には連絡するから」とは言いますが、言う時もありますが、忘れることもあります。それで問題があったことはありません。

 Mさんは「私はそこまで先生のお考えを分かるレベルに達せいていません」と言ったのです。五十歳を過ぎても可愛いと思います。笑いながら「そんなことないよ」と言いましたが、詳しくは説明しませんでした。『学び合い』にも通じる大事なことなので補足します。

 チャーチルは10年先、100年先を正確に予測できました。ところが、明日のことを予測することは不得手で、よくポカをしました。戸北先生もそれに近いなと思います。そこで、明日のこと、明後日のことは私が考え、戸北先生に提案します。ほぼ100%採用されます。それが続くと、私が判断し、その後、事後報告するようになります。それが続くと、私が判断し、事後報告もしないようになりました。

 つまり、私が戸北先生の判断を予想するのではなく、戸北先生は私を全面的に信頼してくれたのです。ということ私が知っていたのです。なお、私には全然見当もつかないことですが、戸北先生は正確に予想出来ることもあります。例えば、教授会で決まることや、地元学校との関係づくりです。この手のジャンルになると、私は思考停止し、戸北先生におんぶに抱っこになります。

 全てにおいて出来るようになるのは不可能です。出来る人と付き合えば良い。大事なのは付き合えるに値する人は誰かを判断し、その人の熟達しているのは何かを見極める目だと思います。私と戸北先生は二十年以上付き合っているので、それがハッキリと確立されているのです。

 実はMさんに関して、私が思考停止して全面的に任せている部分は少なくありません。そして、任せられると思っているジャンルは非常に多いです。そして本人も分かっているのです。ただ、それを任せられるととても辛いということを知っているので、分からないふりをしているだけなのです。だから、逃げられると思っている。ふぉふぉふぉ。甘い。

 それをすべきだと分かっていて、それが出来て、外にやる人がいなければ「やる」のです。だから私がやるべきことはフェードアウトするだけのことです。私の予想では、あと2年以内に、学内で私がやっている仕事から手を引いて、とても「いい先生」の役回りになれると思っています。ふぉふぉふぉ。

[]すっきり 18:32 すっきり - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - すっきり - 西川純のメモ すっきり - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は自分がしなければならないことを忘れるのが怖いです。そして、締め切りに追われるのが嫌いです。ですので、自分の仕事でこなさなければならないことをgmailの受信箱においておきます。仕事が終わると、アーカイブします。簡単にいえば、初期画面から消えるようにしているのです。

 本日の3時頃、ついにまっさらになりました。これは1年でも5日もありません。すっきりです。

[]本の書き方 18:27 本の書き方 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 本の書き方 - 西川純のメモ 本の書き方 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私が本を書いたのは1992年です。理科教育学会が出版するシリーズの中の教材作成のための理論を分担です。50ページです。それまで学術論文は山ほど書いていましたが、本ははじめでです。どう書いて良いのか分からないのです。学術論文は一定の書式が決まっています。使う表現も決まっています。従って、データがあれば、自ずと書けます。ところが本の場合は書式自由で、表現は自由です。その自由さをどのように扱って良いのか分かりませんでした。

 悩んだ末に気づきました。「人に語るように書けば良い。」ということです。私が書こうとしていることは、講義で学生相手に語っていることと同じです。だから、講義で私が学生に見せている資料、そして、その説明を書けば良いことに気づきました。

 つまり、まともな授業をしている人ならば、本を書けます。ただ、それを文字に変えればいいのです。ただ、これにはトレーニングが必要です。話していると面白い話をする人なのに、文章を書かせるととたんに堅くなる人がいます。どうすればいいか?とにかく書くことです。私のお勧めは、ブログです。ただ、思いついた時に書くレベルではダメです。とにかく毎日書くことです。毎日書くためには、毎日起こったことを観察し、自分なりに分析し、整理することが必要になります。それを不特定多数の人を意識して書くことによって、口語的な文語を書く練習になります。

 私の最初の単著は1999年の「実証的教育研究の技法」です。この本は今も売れています。我がゼミ生はこの本を「名著」という呼び方をしています。私が書いた数多くの本を差し置いて、この本がゼミ生にとって一番の名著なのです。

 大学教師になってから、学生から毎年、同じ質問をされます。それも一人一人バラバラとです。あまりに繰り返されるので辟易してしまいました。そこで、一人の学生に説明した直後に、自分の説明を書くことを習慣にしました。大学の動きは1年サイクルです。1年間ためるとほぼ全てを網羅できます。それから数年間、説明を改良し、抜けを補充しました。以上によって本の原稿のストックがたまりました。

 次ぎに章立てです。お使いのワープロソフトにもアウトラインプロセッサーという機能があると思います。章や節ごとに操作できる機能です。これで章立てをたてます。具体的には今まで書きためた文章を一つのファイルにまとめ、それを章や節にするのです。順序を変え、似たものをまとめます。全体を俯瞰すると抜けているところがあります。そこをじっくりと書き足すのです。最初から書く必要はありません。

 以上によって本は書けます。

 だから、本を出そうとする人は、毎日、何かを書くことです。コンピュータにためるのもいいですが、ブログやFBで世に問えば継続します。

 そして、良き編集者に出会いましょう。その人が、売れる本に整えてくれます。今、その環境が整いつつあります。