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2014-11-19

[]岡山の会 22:26 岡山の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 岡山の会 - 西川純のメモ 岡山の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 11月29日に『学び合い』岡山の会が開かれます。お誘いします。http://manabiai.g.hatena.ne.jp/FlipperK/20141119

[]褒められる 21:34 褒められる - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 褒められる - 西川純のメモ 褒められる - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日も遠方より、『学び合い』を学びに来られました。ゼミ生と大笑いしながら楽しい呑み会をしました。

 帰りの車の中で、若いゼミ生を褒めていただきました。私自身を褒められるより、ゼミ生を褒められる方が嬉しいと感じました。

[]敵対関係 21:30 敵対関係 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 敵対関係 - 西川純のメモ 敵対関係 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 多くの人に目にさらされるのであれば、必ず否定する人が生まれます。ま、健全です。反対者が無いというのは専制君主の社会であり、反対者を見えなくするだけのことです。

 どんな社会でも賛成者が2割、反対者が2割、中間層が6割とみるべきです。どんなことをしても2割の賛成者があり、どんなことをしても2割の反対者がいます。しかし、中間層の6割が、どちらの2割の方の主張に魅力があると思うかで、次の平均値が変わります。

 学生時代の同級生の中で、仲間の雑談の中で教員を呼び捨てにしている人がいました。そのとき呼び捨てにされている教員よりも、呼び捨てにしている同級生の方が醜くく思いました。その人は、呼び捨てにすることによって、自分がその教員と同等であることをアピールしているのでしょう。そして、自分がその人より下位にあることを明確に示しています。

 私も色々な人に否定されています。その多くは気になりません。

私を否定する人は気づいていないと思いますが、その人は私を自分と同等と思っているのです。でしょ?大の大人が高校生や中学生を名指して否定するわけありませんから。だから、私が名指しで否定されたとき、「あ~、この人は私を同等と思っている、思っていたいのだと」分かります。つまり、その人は私の同等もしくは下位だと言うことです。

それは私も同じです。ある人から否定されたとき、その否定する人が私と同等もしくは、私以上だと思えばちゃんと反論します。しかし、その人が私が相手にするレベルの人では無いと思えば、聞き流します。幸か不幸か、私以上の方からの個人特定される否定はありません。尊敬すべき人は、私ごときを否定せず、沈黙を守っています。そして、礼儀正しい議論をします。

ということで、私はよほどの例外で無い限り、個人特定した否定はネットで発信しません。私と意見を異にしたとしても、多くは善意の人であると理解しています。そして私を個人的に否定するかたがどれだけの根拠に基づき否定しているかを吟味します。根拠が薄弱であるならば、わざわざ個人特定できる反論はしません。昔から金持ち喧嘩せず、と申します。

ということで、個人特定しませんが、少なからざる人の気持ちを逆なですることを書きます。品の無い攻撃は、私に利しますから。政治の仕方の一つです。

[大事なこと]限界を超える 21:30 [大事なこと]限界を超える - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - [大事なこと]限界を超える - 西川純のメモ [大事なこと]限界を超える - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ダンバーという霊長学者の研究によれば、ホモサピエンスが安定した関係を結べる個体数の上限は約150人が限界です。ダンバー数と言います。人が他の人とつきあうためには、自分が相手に何をしたか、自分が相手に何をされたかを記憶し、その人のつきあい方はどうしたらいいかを判断しなければなりません。一対一の関係でも難しいのに、複数の人が関わると急激に難しくなります。だから、ダンバー数のような限界があります。

 しかし、ダンバー数ではあまり強調されていませんが、ある前提があります。それはダンバー数は霊長類の研究によって導かれたものです。霊長類は普段から「直接」会っているのです。従って約150人とは普段から会っている個体同士に成り立つ数です。

 原始人の時代ではそれで十分でした。そして、戦前の田舎はそれで十分でした。多くの人は集落規模のコミュニティに生まれ、育ち、子どもをなし、死にます。おおよそ150人程度の人の中で一生涯を過ごします。しかし、人間は原始人の時代を脱し、大きなコミュニティを形成します。

 大きなコミュニティを形成する現代においても、我々は猿の時代に形成された能力の限界に縛られています。なぜなら、大きなコミュニティを形成するようになったのは数千年レベルに過ぎず、DNAレベルの変化を起こすには短すぎるからです。だから、後天的に形成される学習によって補っているのです。

 現代においても圧倒的大多数の人は猿の限界の中でいます。つまり、普段直接に会っている150人を相手にして生きています。そして、かつての集落で生活している人と同じようにそれで幸せです。しかし、一部は猿の限界を超える必要があります。そうでないと、大きなコミュニティは形成されません。

 現実の人と人との繋がりを調べるとダンバーの指摘と似た結果がでます。そして、150人のコミュニティの中にいる人は、ほぼ同じコミュニティの人同士で繋がっています。昔の集落のようなものです。では、どうやって我々は大きなコミュニティを形成しているかと言えば、そのコミュニティのごくごく一部であっても、複数の他のコミュニティと繋がっていれば良いのです。

 例えば、遠方に旅行に行くとき、電車で行くのは大変ですね。ところが、ごく少数の飛行場があれば、飛躍的に便利になります。飛行場の数は駅の数に比べれば圧倒的に少ない、でも、それで十分なのです。

 私は普段直接会っていない人と数多く付き合っています。そうすると、「猿の限界の中の人」と「猿の限界の超えた人」というのに気づきます。もともと普段直接会っていない人との仕事をやっている出版社や報道関係の人は限界を超えた人ばかりです。当たり前です。そうしなければ仕事が出来ません。

 このような人は、レスポンスは早いし誠実です。メールの返信は早いし、約束や期限は守ります。そして報酬関係もきっちりと配慮をしています。もちろん、「猿の限界の中の人」も直接会っている人はレスポンスは早いし、約束や期限は守ります。ただ、普段会っていない人の場合はそうでないのです。何故でしょう。本能のままに生きているからです。普段会っている人なのですから、直接のコミュニケーションをしています。意識しなくても聞かれたらば直ぐに答えます。普段会っている人だから、その人との約束や期限を意識します。普段会っている人とのつきあい方は、ルーティーンになっています。教師の場合は基本的に週周期で繰り返すことになります。しかし、それだけで生きていると、普段直接会っていない人に対して失礼なこと、不誠実なことをすることになります。

 多くの人は猿の限界の中にいて良いと思います。その方が自然です。しかし、一部の人はそれを超えてほしい。同志の方に願います。超えてください。

 どうしたらいいか、現在社会では非常に簡単なことで実現できます。以下を守っていただければ良い。(7つのルールに書きました)

1) 電子メールは携帯電話に転送する設定をする。

多くの人は150人の人との繋がりで完結していると、直接の会話やせいぜい携帯で終わってしまいます。そのため、電子メールを定期的にチェックしません。

2) 人との約束は全てメールで行う。そして、解決していないものが常に目の前にあるようにする。私はgmailを使っていますが、解決したメールは直ぐにアーカイブをしています。従って、果たしていない約束は受信箱に残ります。そして、その果たしていない約束は十以上にはならないように、やり続けている。

3) 約束の期限はネット上のカレンダー(私はgmailカレンダー)に登録します。そして、一週間とか一日前にお知らせメールを送るようにしています。

4) 一つ一つの仕事ごとに、損得勘定の帳尻があうようにする。友達つきあいの関係では無く、赤の他人と仕事をするようにするのです。もちろん、それを超えることをお願いする場合もありますが、「すみません」という気持ちを忘れない。そして、出来るだけ早い時期に帳尻あわせをする。

 以上4つのことをすればいいのです。『学び合い』ネットワークは全国的に広がっています。同志には以上のことを願います。

追伸 なお、以上のことをせずに、普段会わない人とつきあい始める人は、一番迷惑な人になります。出来ない人は猿の限界の中で生きるしかありません。そうでないならば、上記をすることです。

追伸2 スピーチがだらだらと長い人がいます。時計を手に持って話す人にそのような人はいません。もちろん、時計を持たずに短く話をまとめら得る能力のある人もいます。しかし、多くは無い。だから時計を持って話すべきです。能力も持たずに時計も持たない人は、時間を守る気が無い人だと言うことです。