■ [大事なこと]実験

理科の学習指導要領には「観察、実験を通して」という言葉がいっぱいあります。従って、観察、実験をしないことは駄目です。だから0は駄目ですが、10やるか、100やるか、1000やるか、それとも1やるかは学校・教師の裁量権なのです。
理科には「実験教」という宗教があります。とにかく、観察・実験をすることは良いことだという宗教です。それが証拠に理科の研究授業の十中八九は実験をぶつけます。とにかく理科教師は実験が大好きです。しかし、そもそも観察・実験が意味あるのでしょうか?今のところ、それが有効であるというデータを私は知りません。私の知っているのは、観察・実験は有効だとして、より有効にするにはどうしたらいいかという研究はあります。しかし、これすら少数です。多いのは子どもにとって有効であるということは証明せずに教材開発をしている研究です。
ところが科学史研究の示すところ、認知心理学で示すところ、から言えば、観察・実験は有効ではありません。正確に言えば、理科が得意な子どもにとっては有効ですが、そうでない子どもにとっては有効ではありません。そして理科教師は理科が得意な子どもだったので、自分の経験から良いことだと思い込んでいるのです。
最近、ある先生に理科授業では観察・実験はそれほど有効では無いよ、といいました。そうしたら「西川先生がそれを言ってはお終いですよ」と言われました。私は「じゃあ聞くけど、観察・実験を十分にやったが受験の結果を出せないのと、観察・実験はそこそこに押さえて受験の結果を出せるのと、どちらがいい?」と聞きました。その方は後者を選びました。受験というものを正しく理解すれば、観察・実験は重要ではありません。その時間を別な時間に費やした方が良い。
残念ながら、理解するために観察・実験は有効で無いことは、科学誌の示すところ、認知心理学の示すことから明確です。ま、実験が大好きな人は、それを理屈では無く感情的に認めないでしょう。ただし、それを覆す学術的なデータを知りません。そうでしょう。学術的は観察・実験は有効では無いのですから。だから「観察・実験を十分にやったが受験の結果を出せないのと、観察・実験はそこそこに押さえて受験の結果を出せるのと、どちらがいい?」ということを子どものためにちゃんと考えて、判断する必要があるのです。