■ [大事なこと]守られている
出張の初日は暴飲暴食をします。二日目もします。しかし三日目あたりからセーブして、四日目あたりから不安になります。それ以降は、どんどん体が弱ります。結局、くたくたになり、ぼろぼろになって家に帰ります。家族と一緒に食べ、家族と寝る、これを二日か三日すると復活します。
家内のコントロールはきついときがあります。が、ま、甘えているのです。家内が守ってくれているから、たまに暴飲暴食が出来ます。でも、家内が守っていない状態になると、自分で自分を守らなくてはなりません。そしてどんどん病んでいく。
ということで、私は自分の命のために出張が嫌いなのです。
■ [大事なこと]地獄
私は生涯に十二回最悪を経験しました。
第一は高校2年の3学期。在学していた高校では、みんなが同じ速度で崩れていたので、何もしなくても私はトップ集団にいました。2年の3学期、英語で偏差値27という結果を見て呆然としました。それから受験勉強をしました。
第二は大学3年の最後です。遊び回っていました。悪の限りを尽くしました。それなりに楽しかった。が、何も残りません。大学で学んだことが何かを言えない自分に愕然としました。やっと将来を考え始めました。
第三は、大学院1年の年末です。実際に研究テーマを決めるとき、今まで考えていた夢物語は夢物語に過ぎないことを認めざるを得ませんでした。どうしたら良いのか分かりません。しかし、今まで一日13時間研究し続けていたものをチャラには出来ない。
第四は、バカなミスで採用試験に受け損ないました。
第五は、採用された学校が学力的に最底辺の学校でした。今まで学んだことは全く無駄だと分かりました。
第六は、愛する教え子の怠学を促す仕事をしなければなりませんでした。
第七は、大学に異動しました。教えなくてもいい、研究しなさいと言われました。教え子を奪われた教師は死にます。
第八は、三十歳で急性アルコール性肝障害になりました。自分の命の限界を知り、自分の障害を考えました。初めて結婚したいと思いました。が、簡単で無いことを知りました。焦りました。
第九は、結婚して他人と生活することことはどんなことであるかをしりました。しかし、独身時代の苦しさと比べれば天国であることは分かっています。
第十は、子どもが生まれました。本当に天国です。その天国を享受するためには、自分を捨てることが必要であることを理解するまでに時間がかかりました。
第十一は、教師としての賞味期限が切れていることを知りました。昔だったら何もしなくても子どもたちから求められていました。それが失われていることに気づきました。
第十二は、今です。自分の考えていることと世間との乖離が激しすぎます。近づけようとしますが、近づく速度より進む速度が速すぎます。それによって私を信じてくれている学生さんたちに迷惑をかけています。
いずれも、解決するためには自分でやるしかありません。そして魔法の解決策は無く、色々としつこくやり続けるしか出口はありません。いままでもそうですが、今後もそうだと思います。
■ [嬉しい]新刊
本日、出版社から「学力向上テクニック入門」(http://www.meijitosho.co.jp/eduzine/interview/?id=20150096)と「課題づくり入門」(http://www.meijitosho.co.jp/eduzine/interview/?id=20150095)が届きました。我ながら、良い本です。
■ [大事なこと]ブラック企業
世の中でブラック企業が取りざたされていますね。
ワタミなどがネットで叩かれていますが、今、ネットで叩かれていないブラック企業があり、私は問題だと思っています。
どこかの企業と同じで、お客様第一を掲げ、その美名により無理・無茶は合理化されます。そして、職員もそれが普通となっているんです。例えば、その企業には休日は週に1日です。下手すると無しです。休日出勤に伴う手当が数千円です。その仕事にはワゴン車が必要な場合がありますが、それは自腹で買わなければならないのです。時には「休日も働かせて下さい」という書類を上司から書けと求められるのです。ひどいですよね。
そんな企業に25万人も従事しています。
中学校です。
私は教え子が小学校の教師になるべきか、中学校の教師になるべきかを悩んだとき、迷わず小学校の教師を薦めます。理由は部活指導がひどすぎる。今の部活指導は、今の夫婦関係には合いません。部活指導の末に離婚した人をかなり知っています。
はやく中学校教師になることを勧められる状況になって欲しいとおもいます。中京圏の一部には部活指導を社会体育と連携する実践が深まっています。私はそれが広がれば良いのに、と願っています。
■ [大事なこと]おりあい
愛する教え子が苦労していることを知りました。心配です。
『学び合い』を分かった人は、つまらなそうにしている子、不安そうにしている子が見えるようになってしまいます。そうなると何とか一人も見捨てない教育をしたいと願うでしょう。
昨日、ある『学び合い』実践者に「なんか困っていることはありますか?」と聞きました。曰く「『学び合い』自体は上手くいっているのですが、『学び合い』をやっていますと周りに言えない自分が嫌になっている」と言いました。私は笑いながら「我々は子どもに「多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決すること」が大事であることを教えています。我々自身がおりあいをつけなければ」と言いました。
くれぐれも無理しないで下さい。したたかにやりましょう。一人で出来ることは限られています。ことさら荒立てることはありません。みんなで状況を変えましょう。今、状況は変わりつつあります。
若い方へ、戦ってはいけません。それはオジサン、オバサンの仕事です。
私が大学では我が儘放題で、ありとあらゆることが可能となっていることを知っていますよね。でも、それが出来るのは学術業績でも、実践業績でも、管理職としても、教育者としても、どの面からも人から何も言われないだけの抜群の業績を上げ続けているからです。でも、君たちにはそれが無い。だったら、上手くやって下さい。目立たないで下さい。矢面には私が立てば良い。環境を整えるため、毎日やっています。今の職場のことで焦っていますが、職場の外の世界に目を向けて下さい。変化が見て取れると思います。
■ [大事なこと]絶滅危惧種
昔は子どもが携帯を持つなどもってのほかです。ところが都会では中学生が持つのは普通になり、今、小学校に波及しています。その動きは地方に広がるでしょう。何故そうなったか?理由は保護者が学校に申し入れたからです。「もし、子どもと連絡を取れなくて問題が起こったら学校は責任をとれるのか」とです。そして、それらが複数あれば申し入れがあれば許すという形になります。そうなれば子どもはその流れを保護者に伝え、他の保護者もそれを求めるようになります。その数が多くなれば携帯に関するありとあらゆる制限がなし崩しに崩れてしまいます。
息子はタブレットによる通信授業を受けています。若い教師が明るく授業をしています。教材はチームで作成されたものです。指導案もそうでしょう。双方向性も高く、息子が入力するデータが講義に反映されます。今後、そのような個人データに基づき、個人ごとの誤答パターンが分析され、それに基づいて補助教材が送られるようになるでしょう。
今の日本で、上記に勝てる教師がどれほどいるでしょうか?
今、反転授業でタブレットを活用しようとしています。公的機関が、上記を推進しようとしているのです。世の中には無料で使える授業ビデオがクラウドに保存されています。今後はもっと保存されるでしょう。
その結果、成績上位者の子どもが教師よりもタブレットの方が勉強になり、それは学校に持ち込むことが出来ることに気づくのです。大学入試の時、授業中に受験問題集を内職した人いますよね。その気持ちを思いだして下さい。
その子どもの保護者が礼儀正しくタブレットで勉強させて欲しいと申し入れるのです。理由は現状の授業は成績中もしくは中の下に併せており、自分の子どものレベルに合わないからです。さて、携帯電話を拒否できない学校にそのような申しれを拒否できるでしょうか?出来ません。
そうなると、教室に5人ぐらいがタブレットで担任教師を無視して勉強をするのです。そうなればタブレットで勉強するのが賢い子、担任教師の授業を受けるのがそうでない子という図式が生まれます。そうなればどんどん波及するでしょう。
そうなれば教室の殆どの子はタブレットで勉強し、担任教師は呆然とするのです。
さて、成績下位の子どもはどうなるでしょうか?おそらくタブレットで遊びます。そこで教師が注意すると、「うるせい!」と怒鳴るでしょう。なにしろクラス中が教師の権威を認めず馬鹿にしているのですから。教師がそれに対して怒鳴れば、「おい、殴れよ、殴ってみろよ、懲戒免職だぞ。ほら、殴れないのか?あはははは、ちんけなやつだな」と言うのです。なお、これは中学校から始まりますが、早晩、小学校3年生ぐらいまでは広がります.その手の能力の高い子はいますから。
その様子を成績上位者は見ているのです。昔だったら、あれたクラスは成績上位者にとって損でした。だから、立て直せた。ところが成績上位者にとってあれたクラスは自分にとって得なのです。だから容認します。その様子を成績中位層が見ています。クラス中が馬鹿にするという世論の上に下位者が傍若無人なことをし始めます。
学級崩壊では無く、学校崩壊では無く、今の教育システムの崩壊です。
旧体制の教師に生き延びる余地があるか?
ありません。
上記は『学び合い』があろうと、なかろうと生じる未来です。
さて、上記のどこに無理がありますか?
本当に賢い子どもが集まる学校では既に起こっていることです。学級崩壊をしているクラスでは既に起こっていることです。それがネットの発達と、SIMフリーのタブレットが広がった後の世界では拡大するだけなのです。
教科内容を教えるのが教師の仕事と思い込んでいる教師は絶滅危惧種です。もちろん、そのような状況でも生き残る教師はいるでしょう。超名人級の教師だけは生き残るでしょう。でも、大多数の教師は生き残れない。生き残るとしたら、組織の管理者が教師の仕事であると考え方を変えるべきなのです。それが『学び合い』です。
というようなことを昨日話しました。
そして、そんなことを書いた本2冊を来年度に出版します。