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2015-03-08

[]西川ゼミ 09:08 西川ゼミ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 西川ゼミ - 西川純のメモ 西川ゼミ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 偉そうなことを延々と書いていますが、じゃあ、おまえは完璧なのかと言われれば、「とんでもない」と応えます。

 一人も見捨てたくない、と願っています。じゃあ、私のクラスである西川ゼミの学生が一人も見捨てられていないか、と問われれば、首を振ります。西川ゼミに入ろうとするキャラの立った40代から20代の二十人の集団です。私は来るものは拒まず、去る者は追わずを基本としています。能力的にも天と地ほどの差があります。これで問題が起こらないわけありません。しかし、『学び合い』以外でこれを解決し、少なくとも問題を最小に出来ると思ったことはただの一度もありません。私の能力で西川ゼミが毎年、抜群の成果を上げ続けているのは、純粋『学び合い』で運営されているからに他なりません。

 私は学生が将来にわたって生き残れる力を得られるように育てています。教えてもいますし、学ぶ機会を与えています。しかし、私の管理下を離れたとき、それを使えているかと問われれば、十分ではありません。そもそも置かれた環境に関わらず活躍できる能力なんてあったら見てみてみたい。だから『学び合い』では個人を育てることより、集団を育てることを大事にします。では、私が愛する教え子に何が出来るか。それは、より多様な人とつながりを持てるようにすることです。それをやっています。

 小中高の先生方はうらやましいと思います。送り出した子どもが基本的に限られた地域に住んでいる。これは私には無いアドバンテージです。

[]思いもつかないこと 08:52 思いもつかないこと - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 思いもつかないこと - 西川純のメモ 思いもつかないこと - 西川純のメモ のブックマークコメント

 校長の仕事は、部下が思いもつかないレベルで物事を理解し、それにもとづき目標を与えられ、評価をすることです。

 と書きました。では、具体的に説明します。

 例えば、グローバルというキーワードが今後重要になるでしょう。

 では、子どもたちが大人になる二十年後、三十年後、四十年後の日本社会なのかをイメージして下さい。その時の人口構成を予想して下さい。そう考えれば、グローバルというと、とりあえず英語教育なんては考えません。

 また言語活動の充実といったって、みんなの前で発表できる能力の育成なんて考えません。

 おそらく日々の授業でアップアップになっている職員には、上記に述べたようなことしか思いつきません。だから校長はそういう職員が思いもつかないレベルのことをリアルに想像しなければならないのです。

 もし、子どもたちが大人になる二十年後、三十年後、四十年後を思える校長ならば、一斉指導はしません。一斉指導では、その日の授業は分からせられるかもしれませんが(かなり危うい仮定ですが)、大人になったときに生き残れる力は育てられません。

[] 08:39 2015-03-08 - 西川純のメモ を含むブックマーク 2015-03-08 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は山のように本を書きました。これによって『学び合い』を始めようとするひとが安心して始められるように準備は整ったと思います。

 あの本によって、『学び合い』を「丸投げ授業」と批判した方々への明確な応えになったと思います。何もやっているわけではなく、徹頭徹尾、考えられた授業であることを、これでもか、というレベルでテクニックを解説したのですから。

 今年中に中級編の本を書きたいな。そして数年以内に上級編の本を書きたいな。書けるためには、それを理解できる人が商業ベースで成り立つほどの人数にならねばならない。中級編は、もう、成り立つと思います。上級編はあと、もう少しです。

 おそらく、今までの教育書でテクニックを捨てるというテクニックを書いた本は皆無だと思います。捨てるというか、正確に言えば、テクニックの本体である考え方が内在化すれば、テクニックとして意識する必要性はないということです。象徴的な書き方で書いた本はあることはあるけど、それを実証的データで書いた本はないと思います。

[]4月が楽しみ 08:39 4月が楽しみ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 4月が楽しみ - 西川純のメモ 4月が楽しみ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 各出版社の営業が『学び合い』を前面で出そうとしていただいております。ありがたいことです。4月には「教育書フェア」という催しがありますが、おそらくそこでは『学び合い』本が前面に出ていると思います。きっと4月に『学び合い』に出会う人がかなり生まれるでしょう。その人たちが『学び合い』を安全に実践する準備は整っています。来年度はどう化けるか、とても楽しみです。

[]校長学 08:39 校長学 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 校長学 - 西川純のメモ 校長学 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 日本には、組織的に校長を育てるシステムが皆無です。やられているのは、教頭試験に出るような法規の知識ぐらいです。せいぜいは、職員がセクハラをした場合にどのように対応すべきかというケーススタディぐらいです。

 恵まれた人は優れた校長をそばで学ぶことが出来るでしょう。しかし、優れた校長はそれほど多くは無い(そこそこの校長が大部分ですよ)。だから、学べたとしても一人のケースであり、理論的に理解できるわけではありません。結果として、圧倒的大多数の校長は、自分の一斉指導をモデルにした校長になるのです。

 子どもに細かい指示を出し続ける人は、職員に細かい指示を出し続ける校長になります(ね、いるでしょ)。明るいクラスを作っている人は、明るい職員室を作るのです。でも、校長の立ち位置はいかなるものであるかを知っている人は殆どいません。部下が5人程度の上司(主任、係長)の管理運営の仕方と、数十人以上の管理運営の仕方は違います。求められる能力が違うのです。後者の管理運営の仕方は、細かい指示を出し続けることでもなく、明るい職員室作りでもないのです。

 例えば、職員の先頭になって活動する校長はアウトなのです。

 職員の悩みを親身になって聞く校長はアウトなのです。

 飲み会の2次会につきあう校長はアウトなのです。

 それらは学年主任や、先輩教師がする仕事で校長の仕事ではありません。

 校長の仕事は、部下が思いもつかないレベルで物事を理解し、それにもとづき目標を与えられ、評価をすることです。

 日本には校長学がありません。

[]贈る言葉 07:56 贈る言葉 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 贈る言葉 - 西川純のメモ 贈る言葉 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 同志の学校の校長先生が卒業式の祝辞で言った言葉です。

 「負けて終わりではない。やめたらおしまいだ」

 全国の同志に贈ります。

[]名人 07:00 名人 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 名人 - 西川純のメモ 名人 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 非常に授業能力の高い人、ま、正確に言えば集団コントロール能力の高い人の場合、『学び合い』をしなくても、『学び合い』と近い状態にすることは可能です。ただし、最後の1割、最後の5分の子どもはどうしようもありません。とてつもない子がいた場合、名人級の人でもその子を追い回すことになってしまいます。その状態でも名人級とみられる方法があります。それは問題を目立たなくすることです。

 一斉指導の名人と呼ばれる人たちの中にも『学び合い』に反発する人とシンパシーを感じる人がいます。違いは、最後の1割、5分の存在を認められないか、認められるかです。

[]名人を目指す 07:00 名人を目指す - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 名人を目指す - 西川純のメモ 名人を目指す - 西川純のメモ のブックマークコメント

 一般の人が名人級の人をまねても絶対にまねられません。

 日本にはプロのサッカー選手や野球選手を目指す子どもが山ほどいます。それと同じぐらい、名人教師の授業を見てそうなりたいと願う教師がいます。でも、断言します。その人たちの99.999%はなれません。凡夫が名人級の授業をする道は、子どもたちと一緒にやるしかないのです。子どもたちと一緒にやるためには、子どもたちにやる気にさせるしかありません。やる気にさせるためには、信じて任せるしかありません。

[]次元が違う 06:48 次元が違う - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 次元が違う - 西川純のメモ 次元が違う - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』の本体は、一人も見捨てたくないという願いであり、それを実現するための学校観と子ども観という考え方なのです。私が様々な本に書いた声がけの方法、見取りの方法、課題の作り方は、その学校観と子ども観の影です。テクニック的には、従来指導型との併用は可能です。しかし、併用したものは『学び合い』とは縁もゆかりもありません。

 本人が気づかなくても、一定の考えの基に使っているのです。

 『学び合い』以外の課題を思い起こして下さい。その課題が、子どもの一生涯の幸せに通じていると本人に語ることが出来ますか?その説明は、あなたの嫌いな教科(例えば物理)の教師が、その教科が大事だと語るような説得力ではないでしょうか?

 『学び合い』以外の授業におけるあなたの立ち位置を思い出して下さい。あなたがいなければ、そのとたんに成立しなくなるのではないでしょうか?そうであれば、教師がいない社会において生きていける力を与えているのでしょうか?

 教室ではさまざまな問題が起こります。それに対応するために数多くのテクニックを教師は学ぶべきであり、そのテクニックのバリエーションが多い(引き出しが多い)方がすくれているとは思っていないでしょうか?『学び合い』では、問題を解決できるのは子ども集団であると考えているのです。

 考えて下さい。ここに二人の野球部の顧問がいたとします。一人は、県大会優勝を目指しており、野球が出来ることが全てに通じていると考えているAがいます。そして、子どもは未熟で自分が指導すべきだと考え、様々な練習プログラムを知っていて、それを子どもたちに指示します。

 もう一人は、子ども全員の成長を目指しており、野球が出来る出来ないかは大人になってからは重要では無いと思っているBがいます。しかし、野球を通して人との関わりを学び、その中で様々な困難に立ち向かう力を育てたいと考えています。そして、子どもたちは多様で数十人の一人一人には課題があると考えています。だから、子どもは未熟だけど、その多様性に対応できるのは子どもたちで、自分には対応できないと考えます。だから、自ら考え解決できる集団を作ることに頭を使い、個々の練習プログラムは子どもの問題だと考えます。

 さて、Aにも、Bにもテクニックを持っています。もし他方のテクニックを使う場合はどう使うでしょうか?

 AにとってBのテクニックは有効だと思います。そして今までのテクニックと同じように使うでしょう。ただし、子どもに任せることは限定的で、あくまでもA中心に動かすでしょう。

 BはAのテクニックは自分では使いません。使う場合は、子どもたちに例示して、使うか使わないかを判断させます。

 それと同じです。だから、『学び合い』をテクニックとして使っている人か、考え方として理解しているかは私にとっては非常に分かりやすいのです。『学び合い』と非『学び合い』は併用できません。『学び合い』を非『学び合い』のテクニックは次元が違うのです。基本的に併用できません。併用できるとお考えの方は、学校観と子ども観に立ち戻って下さい。そうすると、『学び合い』ではないことが分かると思います。

 私も一斉指導で使っていた話術や課題作りを使いますよ。ただし、一発勝負の講演会や、最初の授業だけです。使えば楽だから。でも、私のクラスである西川ゼミの学生に一斉指導のテクニックを使おうなんて思ったこともありません。馬鹿馬鹿しいから。私が一斉指導のテクニックを使ったらゼミ生はとても気持ち悪がると思います。もっと言えば、『学び合い』のテクニックすらも使いません。私が可視化のテクニックを使ったらゼミ生は気持ち悪がると思います。

 『学び合い』の考えが分かれば分かるほど、肩の力は抜けていき、バカなおっさんになっていきます。

追伸 諸般の事情で併用せざるを得ない場合があります。心が『学び合い』の学校観と子ども観ならば、『学び合い』です。また、やりはじめで信じられないひとは併用はありです。でも、同時に併用は避けて下さい。アイスクリームとカレーは美味しいですが、それを混ぜるとまずくなります。『学び合い』をやるときは純『学び合い』で、一斉指導をする場合は純一斉指導をすることを勧めます。