■ [嬉しい]待っていました。
本を出そうという方へ。
出版社というと、一丸となって本を出す、出さないを一律に決めているようですが、実際には違います。一人一人の編集者にかなりの裁量権を与えられています。一人一人の編集者にとってライターは動産なのです。よいライターを何人持っているか、それは編集者の財産なのです。だから編集者は株取引をしているようなものです。そして単なる証券会社と違って、株を育てることが出来るのです。株取引では短期のもうけを云々するより、中長期の視点が大事です。それが出来る人が優れた編集者なのです。
何を言いたいかと言えば、大手の出版社の優れた編集者は必死になって優れたライターを求めています。その人たちはアンテナを高くして、色々に情報収集をしているのです。
古くからの同志、もしかしたら最も古い同志の一人である青木さんたちが本を出しました。青木さんはいわゆるカリスマ教師ではありません。話しても、ごくごく普通の「良い先生」なのです。しかし、その人の実践は新聞に取り上げられ、その新聞を読んだ編集者がオファーをしました。私が、全く関係しない本です。そして、私には絶対書けない本だと思います。今後、このような本がドンドン出るお思います。とても嬉しい。
出版に関しては臨界点を超えたと思います。このことをテコに、実践の場においても臨界点を超えるのは近い。
■ [う~ん]自己嫌悪
息子は数学が不得意で英語は得意です。これは私とは真逆です。
その数学を何とかするためにガンガンにやらせました。しかし、定期テストでの成果は満足できるものではありませんでした。数学の勉強をやらせるために、英検の勉強をやらせませんでした。やったのはテストが終わってからの二日間です。しかし、準2級を取りました。中2としては立派なものです。
本当は数学なんてやらせず、英語をやらせた方が、息子の将来には繋がることが分かっているのに、数学をやらせている自分に自己嫌悪します。
■ [大事なこと]どこを見る
私は全国各地の人から『学び合い』の相談メールを受けています。そして、授業の様子をビデオで写した映像で送ってもらうことがあります。送ってもらった映像を3秒見ただけで、この方は『学び合い』がまだ分かっていないことが分かる場合があります。
3秒で何故分かるのでしょうか?種明かしをすれば簡単です。
私はクラス全体の動きを見たいのに、一人一人の子どもの姿、特にノートに何を書いているかを写している人がいます。『学び合い』の超初心者に多いパターンです。
また、相談メールでも直ぐ分かります。典型的なのは、特定の手のかかる子の細かい記述が延々と続くのです。ところが私が気になるのは、その子の周りの子がどのようにアプローチしているかなのです。しかし、それが書かれていないので、集団の様子が全く見えないのです。
見方が違うと、同じクラスも全く違って見える。
■ [大事なこと]見た目
イジメのある学級や学校は一見ハッピーに見えます。何故なら、イジメをしている子どもが我が世の春を謳歌しているからです。そして、その子たちが教師と仲が良いと教師や校長には実態が見えない。何故かといえば、人はせいぜい十人程度しか一度に認識できないから、その十人が全てのように見えてしまう。意識的に観察しなければ出来ません。しかし、自分が幸せになるために教育をしている人は、それが出来ない。何故なら、その観察によって自分の目の前のハッピーなクラスや学校が決してハッピーで無いことが分かるから。
他ならない、高校教師時代の私が犯した失敗です。私のクラスは超ハッピーに見えた。クラス全員から懐かれた。私の指示は徹底された。私の授業にはみんな集中した。泣かせたいところで泣かせ、笑わせたいときに笑わせた。私は自分を天才だと思った。でも、クラスには闇があった。
あの頃は分からなかった。でも、今はハッキリ分かる。そして、かつての私のように自分がハッピーになりたい人がそれを犯していることが見える。紹介しているエピソードでとりあげられている子どもはどんな子どもか。写されている写真の中心に写っているのは誰かで。私はそんな目でブログやFBを観察しているのです。
■ [大事なこと]テーマ
来年度以降、西川研究室が追求するテーマは以下の通りです。
まずは、『学び合い』を通じた地域コミュニティの再生です。そのために小中合同『学び合い』の定常化や、保護者を巻き込んだ学習を行いたい。問題はフィールドの確保です。
次は一生涯を見据えた特別支援教育です。現状の特別支援教育は医療の意味合いが強い。つまり、目の前の障害を軽減したい、に目が奪われて、その子の一生涯の幸せは何かを問うことが少ない。現在、五十代、六十代の特別支援を必要とする子どもの親は、「学校にいるときは手厚いが、卒業したとたんにだれも手を貸してくれない」と不満を持っています。霜害を軽減しようとしても、砂上の楼閣のような場合は少なくありません。障害を障害として当人も周りも認め、つきあいかたを学ぶべきだと思うのです。すでに『学び合い』は授業ではそれを実現していますが、視野を生涯に広げてみたいと思います。
そしてICTです。今のICTはICT自体が目的となってしまっています。端的な例は、一人一台のタブレット教です。もう宗教に近い。これは少人数教育と同様にど素人的な発想だと思います。本当はICTはツールの一つに過ぎません。まず、教育があり、そして最大のツールは人であることを明らかにしたいと思っています。
■ [大事なこと]学校経営コース
本学教職大学院には授業作りをメインとするコースの他に学校をどのように経営・運営することを学ぶコースがあります。それが平成28年度より、大幅に変わります。目立った変化としては教頭昇任直前の人を想定した1年制コースです。しかし、それ以上に大きな変更は教育内容です。
本学教職大学院の特徴として、教科教育を専門とする人が多いです。それまでは授業作りのコースに担当していました。ところが、28年以降はそのような人が経営・運営を担当することになります。つまり、授業を中心にした学校経営・運営という、ごくごく当たり前でありながら、大学院では扱われなかったことが導入されます。
で、私も28年度より担当することになります。
じゃ、何をするか?
実は、もうやっていることを表立ってやるだけのことです。
私の研究室の現職院生さんは、普通だったら指導主事がやっているようなことを教育実習でやっています。例えば、複数の学校の教育を調整したり、飛び込みで授業指導をしたりしています。
私が授業でやることは『学び合い』です。
経営学的に言って、『学び合い』は校長がやるべきことを教室でやっているだけのことです。だから校長が何をすべきかは『学び合い』で明らかなのです。西川ゼミでは色々な研究をしていますが、校長もその一つです。色々な小中高の先生に、今まで仕えて良かった校長と大変だった校長をインタビューしました。その結果、『学び合い』的に管理している校長が仕えやすく、従来指導型の管理をしている校長が仕えにくいのです。
ま、授業と言っても、私のやるのですから「さあどうぞ」でやりますが。