■ [嬉しい]喜び
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『学び合い』を分かるまで、多くのカリスマ教師のように、私の授業は笑いあり、涙ありの飽きさせない1時間でした。
その時、私の充実感は、私の意図したとおりに出来たことにあります。
今は違います。私が思いもつかないことを子どもがなすときに充実感を感じます。
本日、ベテランの先生から『学び合い』を受けた子どもたちの感想文を送っていただきました。読みながらじんわりします。いわゆる教師受けを狙った文章ではありません。実に淡々としています。でも、多くを得たことを感じます。
そして、その先生から「不躾と思いましたが、送らせていただきました。教員生活の中でこの一年が一番の一年でした。今年度は仲間を増やしていこうと思います。」というメールをいただきました。その方が数十年の中で得た多くの経験の尊さは推し量ることは出来ません。しかし、その方は子どもの凄さを感じたのだと思います。
そのメールで、心豊かにいます。
色々と嫌なことがありますが、「私には同志がいる」と思えると強くなれます。
■ [大事なこと]道徳
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今度出る本はICTだと思います。そして次は生徒指導だと思います。その後は色々の候補があります。出版社の予定で決まります。
その中に道徳もあります。
私は、道徳は『学び合い』しかありえないと確信しています。理由は簡単です。
正しいと理解することと、その正しい行動することは全く別の仕組みで動きます。つまり正しいと理解をいくら深めても、正しい行動をするとは限らないのです。逆に言えば、正しいと理解が深まらなくても、正しい行動はします。
例えばです。少なくとも私の年代の人で本を踏み台にすることには抵抗があります。では、何故、それが駄目なのかをちゃんと言える人はいるでしょうか?ま、いません。冷静に考えれば本は踏み台に出来ます。でも、私は出来ません。さて、何故、出来ないでしょうか?それは自分の属する集団のメンバーの行動が関係するのです。道徳が行動に結びつくには、集団が関係あり、それを効果的に実行できるのは『学び合い』です。
思いつきでもうしているのではありません。ちゃんとした学術データに基づいているのです。そのうち、世に出します。こうご期待。
■ [嬉しい]記念日
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本日は入籍記念日です。が、本日は家内が忙しかったので、冷蔵庫にあるものが夕食です。晩酌の最初は乾杯です。ま、それだけでしたが、心豊かです。考えてみれば、毎日が記念日みたいなものです。明日は息子の進級記念日です。私はステーキを提案しましたが、健康を考える息子に却下されました。
■ [大事なこと]操作的定義
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以前に書いたことです。
定義の仕方としては、内包的定義と外延的定義が有名です。前者はそのものの全てが満たしている条件を挙げることによって定義することです。ところが我々の概念の多くは族類似性という特徴を持っており、内包的定義は出来ないことをRoschという人が明らかにしました。つまり、我々があるものを「犬」か否かを判断するには、数多くの特徴に着目します。その特徴が多ければ多いほど「犬」だと判断するようになるのです。しかし、面白いことにその全ての特徴を持つ「犬」は存在しないのです。
外延的定義はそのものを全て枚挙して定義する方法です。でも、日本の大都市のように数十ぐらいで収まる定義でしたら可能ですが、それ以上になると訳が分からなくなります。
教育で扱われる言葉は、抽象的につくられた概念では無く自然発生的に生まれた概念ばかりです。その一つ一つが多様で、多数です。だから、教育では定義がものすごく難しいのです。で、定義されない言葉が踊ることになります。
じゃあどうするか?操作的定義が有効です。つまり、概念からそれを判別する方法を考えるのでは無く、判別する方法を最初に定め、それによって概念を定義します。もっとも有名なのは知能指数です。知能指数とは田中ビネー検査で測定されるもの、と定義できます。
では学力をどのように定義したら良いでしょうか?田中ビネーほど広く受け入れられた測定法は無いですね。その場合は、自分たちで決めるのです。例えば、日々使っている業者テストで定義すれば良いのです。
そう言うと、学力は業者テストの点数では無い、といわれる方が少なくない。でも、その方に伺いたいのですが、では、それに代わる測定方法があるでしょうか?おそらく言葉に詰まるはずです。だから、決めない、では宗教活動になってします。だったら、まずは、そこから始めるべきだと思うのです。
何度も書いたように、アクティブラーニングというものは何かという定義はありません。しかし、新たな大学入試でのテストでアクティブラーニングという言葉が操作的に定義されます。
『学び合い』としては現状のググれば直ぐ出る知識を覚えさせることも簡単です。でも、多くの先生方は、現状の指導法の方が教えられると思い込んでいます。でも、大学入試で問われるものが今まで自分が教えた方法では対応出来ないと思えば意識改革する教師は増えるでしょう。それが楽しみです。