■ [大事なこと]面白い
今、産業競争力ワーキングの議事要旨を読んでいます。面白いですね。
中央教育審議会での議論では文科省は黒子になっています。しかし、この種の会議には局長レベルの人が参加し、率直に話しています。文科省の考え方が非常に分かります。
■ [大事なこと]テクニックと『学び合い』
『学び合い』はいままでの教育の様々なものを極限までそぎ落とします。教育には様々なテクニックの蓄積があります。『学び合い』はそれをそぎ落とします。それは『学び合い』のテクニックも同じです。例えば、可視覚化というテクニックも最終的にはそぎ落とします。そして、立っているだけ、いや、そこにいなくても教育が成立するようにします。何故なら、教育は子どもを大人にする営みであり、大人の社会においては教師はいないからです。
じゃあ、テクニックは不要かと言えば、必須では無いですが有効です。
私の講演、私の飛び込み授業、また、大学での講義を聴いた方だったら分かると思いますが、テクニック満載です。暴走族相手に物理の授業をしていたときに否応なく獲得したテクニックを雨あられと使います。また、今でも高校時代の恩師であり、私自身が知る最高の授業名人から聞いた教えを守り、落語を通勤途中で聞き話術を衰えさせないようにしています。
が、テクニックの限界もよく分かっています。テクニックが使えるのはせいぜい4週間です。どんなにいっても3ヶ月、つまり1学期が限界です。そして、クラスをリードする、教師の腹を読むことに長けている子どもは3日でその教師の本性を見破ります。この限界をちゃんと理解した上でテクニックを使うことは有効です。逆に、この限界を理解せずテクニックを使えば、3ヶ月以内に子どもたちに見限られます。
それを超えたとき、何が大事か。それは心です。その人が何を願い、何を信念にしているかです。しかし、それがぶれてはいけません。ぶれるとクラスをリードする子どもから見限られます。そうならないためには、自らの願いと信念を言葉にしなければなりません。ただし、それらは出来るだけ短い言葉で、少ない言葉で表せなければなりません。なぜならば、表現が複雑になり、複数になると相互に矛盾します。結果として言動にぶれが生じます。
その教師の願いや信念が万人にフィットしなくていい。そんなの無理です。ある子どもから好かれるならば、それと同じ人数、同じだけ嫌われると思った方がいい。物事は正規分布しますから。しかし、教師の持つ願いが「一人も見捨てない」であるならば大丈夫です。何故なら、自分と相性が悪くても、教師と繋がる子どもを通してその子どもとつながり、導くことが可能だからです。
私の知る限り、最高のテクニック(?)は一人も見捨てたくないという願いと『学び合い』の学校観と子ども観です。これにより最上の子どもからの支持を確実にします。それを支持せず、批判する人もいます。ただし、その様な人には周りの人を本質的に動かす力はありません。だから相手をする必要はありません。