■ [大事なこと]きれい事
おそらく、『学び合い』が「一人も見捨てたくない」という願いを持っていると言えば、「きれい事」と思う人がいると思います。
違います。最高の戦略で、処世術です。
人は自分のエゴで、利害で動きます。しかし、そのエゴや利害が成立するかは、周りの人がそれを許し、それを手伝ってくれるかどうかなのです。ある方に言いました。「有能であることよりも、有能であり続けることの方が遙かに難しい。何故ならら、人には嫉妬心があるから。有能であり続けたいなら、その有能を他の人に使うことです」と。私は自分の属する組織のためにありとあらゆることをします。かなり強引なこともやります。何故なら、それが私の身を守る最善の方法だと思っているからです。
「一人も見捨てない」それを自らのテーマにして、自分の出来る範囲内で、それを実行し続けることは、我が身を守ることです。
追伸 私は病的なほど、共感能力が高い。だから、身近に不幸な人がいると苦しいのです。だから、私の精神衛生上、やっている面があります。高校教師で挫折したのは、子どもの不幸を見続けなければならなかった。弱い私はそれに耐えきれなかったのです。
■ [大事なこと]思考する
昨日、ある方から私が敵を作るような表現をしていると言われました。
その通りです。何故なら、マイルドな表現にすれば、多くの人が「いまのままでいいのね」とか「わたしのやってることね」と思うからです。だから、純粋に直球勝負で語ります。
でもね、もう分かっていると思いますが、同志の方はそれではいけません。人相手の仕事なのですから、その場その場の状況に合わせれば良いのです。でも、根幹の学校観・子ども観をゆるがせにせず、自らが行う改良(?)がそれに反していないかを省察して下さい。反すれば、一人も見捨てたくないという願いは実現せず、それは子どもに伝わります。
私がゼミに入った人に最初にやることは、私が中学生並みの思考をするバカであり、親ばかであり、家内を愛している人であることです。つまり、等身大の人であることを伝えます。これをしないと思考停止した学生になるからです。