■ [大事なこと]見捨てています
「一人も見捨てない」この言葉の意味は難しい。
100人の子どもがいて、一人の苦しむ子どもと、99人の子どもとどちらを選ぶか。これは永遠のテーマです。キリスト教の聖書では一人の子どもを選ぶべきだと書いているように思います。しかし、数千年の永きにわたって生き続けた言葉は単純では無いと思います。
私はこう思います。
一人の不幸な子どもと、99人の不幸で無い子どもがいると考えることがおかしい。子どもはみんな苦しんでいます。一人の不幸な子どもが百人います。私はそう思います。百人が百通りの苦しみを持ち、もがいています。100匹の羊が迷ったら、羊飼いはどうしたらいいでしょうか?
100匹の羊が群れになることを羊飼いはすべきです。
私の才能の一つは、色々なものが見えることです。嫌になるほど見える。見えると迷う。迷えば、100匹の羊を迷わせることになります。だから見えないように、見えないようにします。結果として一人の羊を迷わせることになります。分かっています。でも、限界のある私の最善の道は、個に拘らず、集団作りに拘ることに迷いはありません。
99匹が迷っていないと思う人には、私の語る意味が分からないでしょう。その人たちから「一人も見捨てないと言いつつも、見捨ててるじゃないか」と言われれば、その通りです。と答えます。でも、一人も見捨てたくないから、私のような凡夫がそう思うから、そうせざるを得ないのです。
■ [大事なこと]一人も見捨てたくない
私の中では、次のステージ進むための作戦があります。もう一歩進めます。その準備はそろったと思います。『学び合い』フォーラムを立ち上げたとき、『学び合い』スタートブックを世に出したとき、それと同じような気持ちを感じます。
普及化理論の、イノベーター、アーリーアダプター、そして次はアーリーマジョリティです。キャズム理論の示すところ、戦略が違います。きっとその人に伝えようとするとき、切り捨てなければならないのは「一人も見捨てたくない」という願いだと私は思います。
今、『学び合い』の学校観と子ども観は市民権を得ます。しかし、「一人も見捨てたくない」という願いはもう少し時間がかかるでしょう。「一人も見捨てたくない」という願いを最優先にしたとき、『学び合い』しか選択肢はないと、私は確信しています。
■ [お誘い]長野の会
4月28日に長野市で『学び合い』の会が開かれます。お誘いします。http://manabiai.g.hatena.ne.jp/i-Kawa-nakajima/20150416