■ [う~ん]講義
私が講義や講演で話すこと、それが昔の研究であれば昔であるほど受けはいい。現在に近づけば近づくほど、どん引きされる。これがなかなか辛い。私にとってつまらなければつまらないほど、馬鹿馬鹿しければ馬鹿馬鹿しいほど、うけるということ。
お金をいただく講演会、全員必修の講義となれば我が儘もききません。が、大学教員の特権である我が儘も少し加味します。つまり、最初は一般的な受けを狙いつつ、最後はどん引きされることを語る。かなりの毒を含んでいるのですが、その苦さを感じる方へ心を込めて語ります。過半数の方は最初は喜んでいただき、最後はあきれていただければ結構だと割り切っています。
追伸 私の講義の場合は、我が儘、暴走です。気に入らなければ受講しなければいいのですから。それに、私の講義をあきれる人の方がまともだと思っています。
万人受けする大学の講義は意味が無いと思っています。何故なら、受けるのは受講者の既存概念の中で留まっていることを意味していますから。大学の講義は、既存概念の拡大ではなく、既存概念の破壊と再構築が使命だと思っています。ま、本当は義務教育も同じですけど。
■ [大事なこと]意識改革
高学歴化すると人口は減る、これは人口学の定説です。日本が生き残るには人口を増やさなければなりません。だから、日本人が持っている高学歴神話を崩す必要があります。これはマスコミに期待したい。
とりあえず大学に行った人の末路をもっと露わにして欲しい。逆に、高卒で手に職を持った人の幸せを描いて欲しい。「アンクルトムの小屋」が南北戦争に影響したように、それらは過渡的に大きな軋轢を生じるかもしれません。でも、必要だと思います。
■ [大事なこと]大学の未来
日本の大学は研究者によって運営されています。これは研究者養成には絶対必要なことです。しかし、職業人養成には向いていません。そして、高校がその大学予備校となっているのですから、職業人養成には向いていません。
研究者になるのだったら、研究者養成教育を受けた人の方が賃金的に高い出発点からはじまるのは合理的です。何故なら、それに見合う仕事をするであろうと期待できるし、それに対しての投資を本人や家族がしているのですから。でも、研究者にならない人が、研究者養成教育を受けたからといって賃金的に高い出発点からはじまるのは不合理です。まあ、教員採用試験、また、初任給に、その人が大型特殊車両免許を持っていることが考慮されないのと同じです。
現状の大学は三つの道があると思います。第一は、研究者養成のための大学。スーパグローバル大学に選ばれる大学がそうなるでしょう。第二は、職業人が運営する大学。医学部や教育学部などがそうなるでしょう。教育学部も医学部と同じように、附属学校で授業をしつつ大学で講義や研究をするようになるでしょう。つぶしのきく文学部や経済学部、また、国際とか情報とか総合とかのキーワードをつけた学際的学部を擁する大学の中で第一になれない大学は、速やかに衣替えしないと第三の大学になるでしょう。第三は、消滅。十八歳人口が減るのですから当然です。
年金や退職金が毎年、どんどん減らされているのを見ていると、「あ~、先輩教員はいいな~」と思います。でも、これからの大学教員に比べれば私たちはまだいい。だって職がありますから。四十代前半より若い世代は職が無くなる。もっと可愛そうなのは、研究者養成のための大学で過剰に生産されたドクターでしょう。彼らは一度も職に就けなくなります。何故なら、その頃に残る就職先は第一の大学ぐらいですから。つまり、ある教授が生産できる適正ドクター数は一人となります。