■ [大事なこと]模擬授業

私は模擬授業が嫌いです。それは子どもを侮辱することだからです。
考えて下さい。校長会で、模擬職員会議というものをして、校長が職員の役割を演じ、代表の校長が職員会議での校長の役割を演じたとしたら。どう思います?そして、その後に校長がそれをあれこれ批評し、名人校長、準名人校長という資格を得たとしたらどう思いますか?そして、その授業をしている人でなくとも、その教諭役を演じた校長が御校の校長だったらどう思いますか?
『学び合い』ゲームは出来ます。でも、『学び合い』授業は出来ません。なぜなら、『学び合い』は真剣勝負でやる授業だからです。だからこそ、インターネットのコンテンツがいくら充実しても、脅かされない授業なのです。
■ [大事なこと]可能性

本日は静岡市の美和中学校で飛び込み授業をしました。
我ながら、見事な飛び込み授業です。たった2時間で、子どもたちの動きを変えます。私のちょっとした言葉がけで、子どもたちは変わります。歴史に残る名人教師よりも劇的な変化を子どもに起こします。と不遜ながら思います。
授業中に2度泣きました。
1度目は、まじめに子どもに語ると、見事に子どもが変わります。その素直さにビックリします。そして、かわいい。
2度目は、申し訳なくて泣きました。
人は変わりません。それは子どもも同じです。元々出来ないことをたった2時間で出来るようにすることは出来ません。でも、2時間で子どもは変わりました。何故出来たかと言えば、子どもが元々あったものを出しただけなことです。私がやったことは、子どもの出来ることを邪魔しないことです。ま、邪魔する人ではないと言うことを分からせるために1時間目にテクニックを少々使いましたが、少々です。2時間目は殆ど何もしていません。私が2時間かけてやったのは子どもを育てることではなく、子どもの持っている能力を出しても良いよと分からせただけなのです。
子どもには無限の可能性があるという言葉があります。それは純白のキャンパスに様々な絵を書き込める可能性があるという意味で使うのではないでしょうか?でも、違うと思います。子どもたちの中には、ホモサピエンスならみんな持っている素晴らしい名画が描かれているのです。もちろん、人それぞれの名画です。しかし、いずれもホモサピエンスの感動を引き出せる素晴らしい名画です。教師が名画に筆を加える必要は無い。それを正しく出させるだけです。だから私でも出来る。
私は日本全国の子ども、いや、目の前の美和中学校の子ども可能性に圧倒し、それを出し切れていない自分のふがいなさに涙が出ました。一期一会ですが教え子の幸多いことを願います。でも、大丈夫。あとは美和中学校の先生方にお任せします。
■ [大事なこと]生き残り

今、教育学部の既存修士は廃止され教職大学院に移行しています。そして、それが移行し終わった頃、平成33年頃から教員採用者数が激減します。当然、採用率は激減します。激減した教職大学院はどうなるか。法科大学院が見本です。そうなったとき、制度が又変わるでしょうね。幸いなことに、私は退職する頃です。かわいそうなのは、その頃に入学する学生です。
■ [大事なこと]破壊的イノベーション

今から書くことは大学関係者以外には意味不明だし、大学関係者の大部分は分かりたくないことだから、ほぼ独り言。
教科教育学は戦後の教員免許法が成立し、教科教育学が必須となったときに生まれました。もちろん、それまでも教育方法学の一部にありましたが、これは大きな変革です。私が大学院に入りたての時は、教育史学や比較教育学が理科教育学で主流でした。何故かと言えば、それまでの教科教育の主な顧客は教育学部の教員だったのです。だから教育学部の教員に「受ける」研究が主流になっていました。ところが教科教育が教科領域に位置づけられることが決まったので顧客が変わったのです。理科教育学の場合は、物理学、化学、生物学、地学の教員がその採用を決めるのです。
研究者の養成機関の対応、また、既に採用した人、そのような理由から変化30年ぐらいかかりましたが教育史学や比較教育学が少なくなりました。それまでに生産された研究者の中で目端が利く人は顧客の変化に対応して今も活躍しています。が、全てではありません。私たちの世代が、その狭間だと思います。市場が激変している時代だからこそ、私のような非主流派のものにも活躍できるニッチェがあったのだと思います。
私の諸先輩の多くは主流派にいました。その方々は、それまでの顧客である教育学に目を向けていた。そして、その人たちとの繋がりが強い、だから対応に遅れてしまいました。もちろん、その方々が無能であったわけではありません。有能だからこそ対応に遅れてしまった。それが仕組みだとクリステンセンは述べています。
今、破壊的イノベーションが進んでいます。
設置審のおおくくり化が進んでいます。既存修士が廃止され教職大学院へ移行します。これが何を意味するかと言えば、教科教育学の顧客は教科専門でなくなるということです。
教員養成系大学の中期計画において実務経験者の採用率を掲げています。教職大学院への移行を進めるには必要なことだし、お上からの指導もあります。これが何を意味するかと言えば、今後は実務経験の無い人の採用は厳しいと言うことです。つまり、学部卒業者を修士・大学院で育てた博士は、非常勤でも実務の経験が無いと厳しいのです。教職大学院の実務家としてカウントされるには二十年の実務経験が必要です。でも、学術に関する業績がある場合は5年でも良いという規定があります。ということを博士課程の先生方の何%がしっているだろうか、と思います。
入試、授業においてアクティブラーニングをすることを大学は求められています。対応しない大学は運営費交付金を減らされます。昨年度から本年度に立て続けに出される答申、事業はそれが本気であることを明確に示しています。
私的には、我が世の春、という感じです。追い風に乗って攻めます。
が、一人も見捨てたくない。理由は一人勝ちなんて世の中で認められないですから。私が勝つためには、この変化に対応し、生き残り、活躍してくれる人が一定数必要です。こんな私のブログやFBを読んでいる方々は、その可能性があると思います。
研究者を養成している方々は答申や通達をちゃんと読んでください。事務の中で賢い人に聞けば何を読むべきかを教えてくれます。研究者になろうとする方もちゃんと読んでください。なぜならあなたの指導教員は読まない可能性が高いからです。また、各大学のアドミッションポリシー、中期計画、入試改革を読んでください。生き残る大学とつぶれる大学が分かります。文科省は護送船団方式をやめました。そんな余力はありません。
教員養成を担当している方々も同じです。時間差はありますが、皆さんの教え子も大学人と同じような荒波にたたき込まれます。今大学で教えていることの大部分は無用の長物になるのです。教師が教材や指導法に長けていなくても、ネット配信される教材がそれを担当してくれるからです。その時に必要な能力なのかを考えて下さい。思い出して下さい。昔はどの商店街にも複数あった八百屋や電気屋さんがいまどれだけあるでしょうか?ある日あるときに一斉に閉店したのではありません。徐々に閉店しました。もちろん、今大学で教えていることで生き残る人はいるでしょう。いまでも八百屋や電気屋さんは残っています。それはカリスマレベルの例外です。みなさんの教え子の中で何人がカリスマ教師になるでしょうか?それがものすごいからこそ、教師の研修団体の研修会でアイドルを見る目でカリスマ教師を見ている人が多いのです。
早く気づいて、自分の出来ることをやりましょう。
小中高の先生方へ。経団連、経済同友会に所属するレベルの会社はアクティブラーニングで育てられる能力で社員を選別しますよ。なぜなら、今の改革の震源地はそこだからです。自らやらないわけがない。
追伸 昨日、別個に某大学教師と話しました。その方々は最近の一連の変化に関して、私と同等いやそれ以上の情報を持っていました。だから、楽しく議論しました。こういう人もいるんだな~っと嬉しくなりました。