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2015-06-11

[]数学 08:27 数学 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 数学 - 西川純のメモ 数学 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 中学校、高校の数学は、数学ではありません。あれは「算数」です。

 物理学の微分方程式がどうしても解けずに、大学の数学の先生に質問に行きました。ところが、その先生はその微分方程式には「解」が存在することを説明してくれるのですが、解は出せなかったのです。その後、数学の専門書を読むことによって、数学は計算とは違うことを知りました。そして、数学にハマってしまいました。

 もちろん生物学専攻の学生が独学で数学の本を読むのですからたかがしれています。しかし、とても楽しかった。その時、高校までの数学は何だったんだろう。意味ないじゃん。と思いました。

 もちろん大学で学ぶ数学が全ての人にフィットする分けではないと思います。でも、フィットする人には早い段階で大学学部レベルの数学を勉強させるべきです。できれば中学校ぐらいから可能だと思います。

 小学校から高校までの数学は数学ではなく、ようは計算です。そんな計算、今後、必要無くなるのに、と思います。

 では、中学校から数学を学べるようになるための最低限の知識は何なんでしょうか?

 高木貞治の解析学概論を読み直すと、四則演算、自然数、整数、有理数、無理数、分数の足し算、図形の表記、平方根などは必要なようです。

 単純な計算は小学校レベルで終えて、理系中学校では上記を、計算なんかゴチャゴチャせずに学べば1年ぐらいで終わりでしょう。中2からは解析学概論をテキストにすればいいと思います。同時に中2からファイマン物理をやればいい。私は大学で生物を専攻しましたが、受験では物理と化学を選択しました。しかし、それで不都合ありませんでした。中3ぐらいからワトソンの遺伝子の分子生物学をやればいい。その代わり、文系科目は選択科目にして、とらなくてもいいようにしたらいいように思います。

 逆に、文系中学校の場合は、数学や理科は選択科目にすればいい。

 中等学校段階まで広くを強いるために、苦労する子どもを生み出すし、全体的に浅くなる。

http://www.appbank.net/2015/06/10/iphone-application/1040579.php

[]お願い 07:07 お願い - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - お願い - 西川純のメモ お願い - 西川純のメモ のブックマークコメント

 全国の同志の方に3つのお願いがあります。

 第一に、他県、出来れば遠くの同志と繋がって下さい。どうも、ネットワークが都道府県レベルでクローズしている場合が多いようです。全ての人でなくてもいいです。一部の方でも遠方の同志と繋がれば、その都道府県の方々は間接的に遠方の同志と繋がれます。

 比喩で言えば、各都道府県に飛行場は必要ありませんが、ハブ空港が少数でもあれば、飛躍的に移動時間は短縮できます。

 第二に、授業公開です。いつでも授業を気軽に見せられる、そして見てもらうことによって子どもが頑張る、これは『学び合い』の特徴です。学校長の了解を得て、いつでも公開OKにして下さい。今後、アーリーマジョリティの人が増えるはずです。その人が具体的なイメージを持つには、生を見ることが大事です。教えてもらえば、私が積極的に宣伝します。

 第三に、教育実習生等に『学び合い』を紹介して下さい。まあ、『学び合い』の授業を見れば、実習生は目が点になっていると思います。この前の和歌山の学校でもそうでした。その際、『学び合い』の本を紹介して、『学び合い』の裏には理論があり、整理されたテクニックがあることを伝えて下さい。これからの10年間に大量退職があり、大量採用があります。

[]キャリア教育 06:50 キャリア教育 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - キャリア教育 - 西川純のメモ キャリア教育 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 これから書くことは自分の首を絞めることですが・・・

 日本の将来を良くしようとするための超マクロな解決策は人口を微増に戻すことだと思います。とくに地方都市に行き、シャッター街を見るとそう思います。

 それに対して、相対的にもっとも即効性のある方法は大学進学率を下げることだと思います。それによって晩婚化を避け、子どもを育てるために必要なコストを下げます。

 大学教育は必要です。しかし、中学校レベルの補習授業の必要な大学は大学では無いと思います。大学は知を生産してこそ、大学です。既に大学でない大学は、大学の看板を外して、中途半端なアカデミズムの鎖から逃れ、専門学校化すればいい。同時に、大学が偉くて専門学校はその下という価値観を崩し、一つの軸で比べられないものだという了解を生み出す必要があるように思います。同時に、高校教育も普通科が上という価値観も崩す必要があります。

 そのためには、小学校、中学校、高等学校で、大学進学によって得られるメリットとコストをしっかりと教えるべきです。私は専門外で知りませんが、生涯収入に関してプラスに影響する大学はそれほど多くは無いはずです。

 むしろ必要なのは、ありふれた技術を別な領域に適応すると市場が生まれる、それを見いだせる人材の育成のように思います。例えば、和食は海外で評価されています。だから、和食を教える専門学校が、海外で働くための技術を教える。それを売りにしてはどうかなと、ふと思いました。例えば、イスラム圏での和食はどうあるべきか、とか、簡単な語学とか。また建具は大量生産になっていますが、建具職人の技術で家庭のちょっとした小物作りに行かせば売れるでしょう。そんなことを考えられる高校があったら全国から生徒が集まるのでは無いかなと思います。

 ま、今のところは思いつきです。でも、これって研究すると面白そうだし、日本のためになりそうです。私にとっての『学び合い』研究の到達点はもう見えています。そして、退職までまだ時間がある。

[]タイプ 05:19 タイプ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - タイプ - 西川純のメモ タイプ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 色々な人とつきあいます。その中で感じるのはグローバル型・ローカル型の2種類の人がいると思います。最初に言いますが、どちらが偉い、ということではありません。別種だと言うことです。

 グローバル型は、ドライです。そして理論的です。自分の行動の行動規範を定め、それに従います。それが出来るのは人と関わりたいという強い欲求がないからです。しかし、明確なルールに基づいて行動するので、どんな人でも関われます。

 ローカル型は、ウエットです。そして感覚的です。自分の行動規範を定めず、その場、その場で考えます。そうなるのは、人と関わりたいという強い欲求があるからです。しかし、明確なルールに基づく行動をしていないので、毎日、会う人にしか関われません。

 人間の大多数は後者です。人間は狭い集団の中で生きるようにプログラミングされています。前者は、本能的には奇形なのだと思います。でも、現代社会を生きるにはそいういう人も必要です。私は、その少数派の前者です。