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2015-06-14

[]一派 22:09 一派 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 一派 - 西川純のメモ 一派 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 日本全国の同志と話すと、「私の地域は保守的で・・」と言われる方が大多数です。違います。日本全国、保守的なのです。だって、人様の子どもを預かっているのですから。

 次に、保守的だから何も出来ませんと言います。これも誤りです。

 どんな集団も保守的です。それが健全です。しかし、必ず異端児を持っています。それを持たない集団は緩慢に死滅するか、ある時点で絶滅します。ただ、異端児が一定の影響力を持つか否かは地域によって違います。

 皆さんの地域で、一定の影響力のある先生の研修団体を思い浮かべて下さい。その団体の会合に定常的に参加する人たちは何人でしょうか?ま、地方都市だったら十人いれば大勢力です。そんなもんです。

 何を言いたいか。同志の方々は、自分たちが少数派だと思っている。確かに少数派です。でも、何らかの意志を持って集まる集団としては巨大集団なのです。何故か?多くの人は、情報収集もしない。ましてや情報発信はしません。そして、基本的に「自分」の授業改善を願っています。だから、カリスマとは繋がりますが、相互で繋がりません。

 我々は少数派です。でも、上記の視点で考えて下さい。我々以上に情報発信をしている集団はありますか?また、我々のように仲間同士が多様に繋がっている集団がありますか?その集団は特定のカリスマが中心になっているのではなく、勝手連で動いています。そう考えると、我々の特異性が分かります。我々は繋がることの意味を知っている。そして、自分の授業改善を実現するには、ネットワークが必要であることを知っている。

 ようは3人で集まればすでに地方都市レベルだったらかなりの勢力なんです。「そんな程度」と思いますよね。でも、「自分」の授業改善を超えたことを考えている人は、それほど多くないのです。その人が3人集まれば出来ることも多いです。

 『学び合い』は県庁所在地に無い大学の一研究室からはじまったことです。それがこれだけ広がったのは、自分の授業改善を超えた志を持つ人たちに応える教育だからです。

追伸 明日は長野県の塩尻で仲間と飲みます。楽しみです。

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/g-chanDAY/

[]見取り 18:11 見取り - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 見取り - 西川純のメモ 見取り - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我々は全ての子どもにICレコーダーをつけ、その子どもの会話を記録し分析します。1校時の子どもの会話を聞くだけで1校時かかります。それを文字化し、カテゴリー化するには数倍かかります。それがクラス人数分やるのです。つまり1時間の分析に100時間ぐらいかかります。それを最低で3ヶ月、半年から1年分析するのです。気が遠くなりますね。そんな研究を平行して十数人が行います。それを二十年以上積み上げているのです。

 それが我々の学術です。

 本学に派遣される現職院生さんは十年選手、二十年選手です。しかし、その人たちも知らない子どもの姿を初めて発見します。そうです。個を追うというのは上記レベルのことで初めて片鱗が見えるのです。教卓から何年見ても、目立つ子どもしか見ていません。個別対応しても、1日24時間なのですから、一部の子どもしか関われない。何故なら、個を見取るには、膨大な時間が必要です。例えば、1校時の分からないことを分かるために必要な会話は小学校で5分~7分かかります。それを30人分は1校時の数倍です。だから、それ以上のレベルを理解しようとするならば、気が遠くなるほどの時間が物理的に必要なのです。

 その結果、分かったこと。教師は絶対に個を見とれない。子どもたちの一部は見とれる「かも」しれないですが、全員は無理です。結果として寄り添うことも絶対に無理です。

 では、どうすればいいのか?

 個は見とれませんが、集団は遙かに見とれます。水分子の個々の運動は現代科学でも記述できません。しかし、その集団の振る舞いはかなり正確に記述できます。それと同じです。ただ、その精度は、集団の凝縮力に依存します。だから、『学び合い』では集団の凝縮力を高め、全体を見取ります。個に寄り添うのでは無く、集団に寄り添うのです。では、個はだれが寄り添うのか?それは子どもたちです。そのためには教師は個に寄り添ってはいけません。教師が個に寄り添えば、その個に他の個が寄り添えません。

 一見、冷たい教師のように見られる行動をするのは、本当に、全員を見捨てたくないからです。今の価値観では理解されにくいですが。

[]結果 10:29 結果 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 結果 - 西川純のメモ 結果 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今、教育関係者が求められている結果、それは人口の5%ぐらいの超エリートを早急に養成することです。その人たちによって、95%が生活できる社会をとりあえずつくろうとしています。日本人全員を変えようとしたら時間がかかりすぎます。そして、その時間に日本人は飢えてしまう。だから、為政者の選択は致し方ないものだと思っています。それがアカウンタビリティーの実態です。

 同志の皆さんへ

 日本の多くの人は、エリート教育と普通教育は矛盾すると考えています。進学校の同志の皆さん、特に高校の進学校の皆さんは結果を出して下さい。そして、センター入試廃止後の試験で抜群な結果を出す仲間を養成して下さい。中学校の皆さんも進学成績で結果を出して下さい。それが他の子どもの教育と矛盾しないことはご存じですよね。

 求めるものを十全に応えた者が、自らの求めるものを得ることが出来ます。求める結果を出せばいいのです。魂を売り渡す必要はありません。

[]ラーメン 09:27 ラーメン - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ラーメン - 西川純のメモ ラーメン - 西川純のメモ のブックマークコメント

 某国の話です。ラーメン屋に入ってお品書きを見ると、最低で600円で中には1500円のラーメンが並んでいたとします。景気の良い時代だったら妥当な価格です。しかし、今は景気が悪く、物価も下がりました。庶民が外食に費やせるのは300円ぐらいです。そこで「高すぎる」と文句を言ったら、店主は素材を説明するのです。例えば、小麦は無農薬で、産地はどこで、粉にするときは石臼を使って、と説明するのです。たしかに、それだけの手間と素材をかけているならば、それだけのお金はかかるでしょう。でも、客にはそんな金はありません。そこで、客はその店を出ます。だれも寄りつかなくなり、その店は潰れました。結局、ラーメン屋の数は半減しました。そもそも外食できる余裕がその国の国民に無くなったからです。残ったラーメン屋は、300円でそこそこ美味しいラーメンを出す店と、600円以上だけどもの凄く美味しいラーメン屋です。素材の良さをおいしさで示せる店が残ります。本来、素材の良さはおいしさに繋がるはずです。だから、素材の良さを主張しているのに、おいしさに繋げられなければ、素材が本当かを疑われるのです。

 大学改革の議論は、簡単に言えば金をもらっている側が、金を出している側が納得できるものを出していない、ということです。

 国は人材養成で結果を出せと言っています。ところが大学は日本の文化とかアカデミズムで反論します。日本の文化とかアカデミズムは人材養成に矛盾無いはずです。だから、人材養成で結果を出せばいいのです。出せないとしたら、日本の文化とかアカデミズムの鼎の軽重が問われます。

 大事なのは、客はラーメン屋を選ぶ理由をラーメン屋に説明する必要は無いのに対して、ラーメン屋は客に自分を選ぶ理由を説明する必要があるのです。大学の内部で、大学人が納得する理由を互いに言い合っている間に、大学が潰れ大学人が説明する機会を失うことを危惧しています。