■ [大事なこと]エビデンス
教育学を「教育に関する真理を探究する学問」ととらえるか、「教育を通して子どもや社会が幸せになるための学問」ととらえるのか、二通りのとらえがあります。
それによってエビデンスが全く違います。前者ならば学会という研究者のコミュニティが認めるエビデンスの出し方をします。私はそれで抜群の結果を出しました。論文の書き方を知っている人には、学術の業績を上げるのはたやすい。
でも、私の中の教師の心が我慢できなかった。だから、教師が認めるエビデンスを出しています。これからは行政が認めるエビデンスを出します。
エビデンス、その言葉は全く違います。その人が何をしたいかで。
■ [大事なこと]民主主義
「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」とチャーチルは言いました。同感です。しかし、日本中の教室では教師という独裁者が支配しています。何故、大人社会の民主政治が出来ないかを教師に問えば、独裁者が言う理由と同じ理由を言います。そして、どこかの国の人民会議のように、教師が全てお膳立てをして司会者の後ろに教師が立っている生徒総会をすれば、民主的だと考えています。
子どもを自由にせよと申しているのではありません。ルールを明文化すればいいのです。そして、子どもに教師を選択する権利を与えればいいのです。アメリカやフランスは大統領に強大な権限を与えています。しかし、選挙で選びます。だから民主主義なのです。ちなみに、本学教職大学院の全ての研究室はそれでやっています。それで問題なくやっています。少なくとも他と比較して抜群の成果を上げ続けています。
きっと「大学生と小学生は違う」と言う人が殆どでしょう。しかし、『学び合い』における子ども集団の姿を見ている限り、十分に可能であると確信しています。そして、何よりも教育基本法の「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」という言葉の意味を深く考えて欲しい。つまり、独裁的なクラスは脱法行為だと私は思っています。
十歩さがっても、大人社会の民主主義でクラスを成立させることの出来る教師の職能は、現状の教師より天と地ほどの差がある。強面の生徒指導能力を誇る教師を見ると、虐殺行為で殺した人数を誇る兵士を見るような思いがします。
以上のことは定期的に、何度でも書きます。