■ [大事なこと]教育を変える
教育の学術研究が日本の教育に影響を与えたでしょうか?皆無ではありませんが、極めてわずかです。しかし、書店にならず教育書も日本の教育に影響与えたものは極めてわずかです。ここ最近は特に。
理由は教育書で求めていることは「大変」だからです。あれもせよ、これもせよ、全身全霊でやれ、と求めます。それに応える人がいます。その様な方がお金を払って本を買い、研修会に参加します。しかし、そんな人は多くは無い。現在、教育書を買って読む人は全教員の十数パーセントぐらいだと思います。つまり、圧倒的大多数は教育書を読みません。ま、採用5年ぐらいは必死になって読みますが、そこそこ授業が流せるようになると本を買いません。
ま、それが健全な集団です。教員全員が本を読み、必死になって向上していたとしたら、「怖い」。
しかし、昔は教育書に影響力がもっとあったと思います。それは教師同士が繋がっていた。だから、耳学問で学べる機会を持てた。では、何故、教師同士が繋がれたのか?それは社会的なミッションを共有していたのだと思います。
じゃあ今はどうか?
失礼ながら社会的なミッションを感じら得る教育書が少ない。教育書の多くが「自分の授業技術の向上」に留まっている。もちろん、それが大部分であることは分かります。でも、それだけだと個人に留まってしまう。
実践界にはきら星のようなスター教師がいます。それを慕って集まる人がいます。では、集まった人たち同士で語りたいと思っている人がどれだけいるか、と思います。
同志のみなさん。フリートークは大事です。フリートークの際、私のところに誰も来ないことを、誇らしく思っているのです。(あははは。単に、嫌われているのかも)
■ [大事なこと]褒めてあげたい
昨日は、久しぶりに心を込めて授業で語りました。
私を突き動かすのは地獄の苦しみを味わっている子どもを無くしたいという願いです。それを考えるとどうしようもなくなる。私にとって、教科レベルの分かる、分からない、そんなのはどうでもいい。分かっても幸せになるとは限らないし、分からなくても幸せになれる。でも、より多くの教師、子ども、保護者に分かってもらいたくて、学力校長の手立ても明らかにします。その様な方々といっしょになって解決しなければ、地獄の苦しみを味わっている子どもを救えない。
心を込めて語ると、走馬燈のように高校教師時代の教え子のことが思い出され、悲しくて、悔しくて、申し訳なくて、泣いてしまいます。酷いときには講演中に嗚咽で語れなくなってしまうこともありました。そんなのは迷惑ですよね。だから、出来るだけ心を込めずに語ろうとしています。
昨日の授業では、心を込めて語りましたが、泣きませんでした(目がウルウルしてしまいましたが)。自分を褒めてあげたい。
追伸 あんまり心を込めて語りすぎると、うざくなります。ということで、私は大学では「頭の賢い中学生」です。これも心地いい。私がボーッとしていると、怖いと言われます。