■ [大事なこと]教科教育学

私が教科教育学に入った30年前には学会に激変があった。それから10年後の学会誌と30年前の学会誌では別物と言って良い。しかし、それから20年間、どんな変化があったんだろう。私はある学会の学会誌編集委員長を5年間務めた。その前の4年間は事務局長を務めた。その関係で学会誌に掲載される論文をじっと見続けたが、変化がない。出だしを読んだだけで方法論が見えてきて、結果も予想されるものが多い。これからの大学再編の中で生き残れるか不安に思います。
じゃあどうしたらいいか?
医学のようなエビデンスベースの研究を進めるべきでしょう。が、おそらくそれは今の状態では不可能だと思います。何故なら、医学の場合は「生きる」、「治る」という絶対的な基準があります。ところが、教育の場合はそのような基準がないのです。「学力」、「分かる」という曖昧な言葉が大手を振っており、それらが錯綜する。私は業者テストの点数、全国学力調査の点数で評価しようとしますが、『学び合い』の同志の中で人気が無い。
もう一つの道はMBAのケーススタディにつかえるようなものを作るのです。が、これは学術と実践が融合した人しか出来ない。この人材が日本中に決定的に足りない。
■ [お誘い]アクティブ・ラーニング

明治図書から出るアクティブ・ラーニング本です。http://www.meijitosho.co.jp/eduzine/interview/?id=20150625
■ [大事なこと]アクティブ・ラーニングの誤解

多くの人がアクティブ・ラーニングに関して誤解していること。それは今までの「生きる力」、「言語活動の充実」の焼き直しだと思っていること。
アクティブ・ラーニングはもともと大学教育改革に端を発していることを知らない人が多い。そして、そこで求めていることは経済界が提言していることと一致していることを知っている人はもっと少ない。
それを受験制度の改革と同期させることによって、高校教育、義務教育に波及させようとしているのがアクティブ・ラーニング。
今、アクティブ・ラーニングに関して語られることの多くは私にとっては戯言(たわごと)としか聞こえないし読めない。悪気がないことは十分に分かっている。でも、悪気はないけど自分が変わりたくないという自己保身を感じる。その悪気のない自己保身が、子どもたちが大人になったときにたたき込まれる今と全然違う雇用社会の不幸を引き起こす。今よりも「ちょっと言語活動を増やす」、「今よりも子どもたちの話し合いの場面を増やす」、そんな程度のアクティブ・ラーニングは多くの子どもをニートにしてしまう、ブラック企業の餌食にしてしまう。それを知ってしまったので、私は焦っているのです。
同志各位にお願いします。読んだら積極的に発信して下さい。
おしかりを承知で書きます。今後の子どもたちの幸せを保証するために何が必要かに関して、現場の教師より文科省の方がよく知っています。何故ならば、現場の教師は今後の雇用社会の構造を殆ど知らないからです。2桁のかけ算が分かる、スイミーを読める、そんな程度のことではないのです。子どもたちが路上生活者になるかならないかの瀬戸際なのです。(そんなバカな、と多くの教師は思うでしょうね。だって、新たな雇用社会の構造を知らないから)
■ [大事なこと]精選

この20年間でどれほど教育内容が変わったでしょうか?殆ど変わっていない。少なくとも各教科教育関係者が教えるべきだと思っていることは変わっていません。それが時間数の関係で削減されると、声高にクレームを言います。
今後、数十年で、今ある職業の半数以上は無くなると予想する人がいます。今ある職業はどんどんロボットと人工知能によって置き換えられるでしょう。どんなに抵抗してもヒトとモノは自由に我が国に入ってきます。そんな中で、ロボット、人工知能、他国のヒト・モノに置き換えられない技術を持たない人は生きていけません。
そんな激変があるのに、教育内容は旧態依然です。
私は教育内容の精選は『学び合い』が一般化した後の仕事にしようと思っていました。しかし、それでは間に合わない。ロボット、人工知能、他国のヒト・モノに置き換えられない技術を持たない人になるために何を学ぶべきでしょうか?同時に、それらを学ぶ余地を生み出すために、現状で教えられていることの中で何を削減すべきでしょうか?少なくとも選択科目を増やした状態にしたとき、必修で何を教えるべきでしょうか?
例えば、筆算を完全に無くして、計算機にすることも考えられます。日常生活で筆算が必要になることはありません。つまり、一桁の足し算の後は、直ぐにそれをどんどんできる機械として計算機を与えるのです。それを四則演算に拡大するのです。これだけで算数時間の数十パーセントは削減できます。また、数学的な才能はあるけど四則演算は不得意である子を救うことも出来ます。
きっと、そんなの無理だとその教科の人は言うでしょう。でも、私はその人達に言いたい。ロボット、人工知能、他国のヒト・モノに置き換えられない技術を持たない人に子どもを育てるために何をすべきですか?と。それを考えず、とりあえず今のままを肯定するのは保身であり、怠惰であると思います。