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2015-08-11

[]意識改革 06:28 意識改革 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 意識改革 - 西川純のメモ 意識改革 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 教師の職能が高まったのはいつですか?おそらく、勤めてからだと思います。そして、現状の大学での教員養成に意味が無いことが分かると思います。何故でしょうか?

 現状の教員養成では、教師の職能を分解し、それぞれを別個に教えれば、子どもたち(学生さんです)はそれを融合できると考えているのです。そもそも教師の職能は相互に関わり合っているので分解すれば意味を失います。第一、分解するとそれを学ぶ意味が分からなくなるのです。教師の皆さんは教員養成課程の授業で、「こんなこと現場で役に立つのかよ~?」と思ったでしょ。

 どうやって学ぶべきか、それは教員集団の中に入って、最初は簡単な仕事を任され、その間に先輩の仕事ぶりを観察します。そして、徐々に自分も実践するようにする。まさに上越教育大学の教職大学院でやっていることです。本学の教職大学院は現職院生と学卒院生がチームになって講義演習を受けます。そして、教育実習もチームで入ります。つまり、指導教員対学生という関係で実習を受けません。現職院生と学卒院生がチームになって、学校と繋がるのです。これだったら現場経験の無い学卒院生でも、現場の問題に立ち向かえます。

 アクティブ・ラーニングでは、今後の社会で活躍できる人材を養成することが目的です。答えのない問題に立ち向かわなければならないのです。そのような能力を育てるには、「自分の腎臓を売ってもいいだろうか?」という問いを与えて解決させるしかありません。今までの授業だったら、臓器の学習をさせ、医療倫理の学習をさせ・・・・、そして解決させることをします。しかし、アクティブ・ラーニングではそんなことをせずに、「自分の腎臓を売ってもいいだろうか?」を問うのです。そして、子どもたちが臓器や医療倫理を学修する必要性を感じ学ぶのです。

 「自分の腎臓を売ってもいいだろうか?」という問いに対する学会での一般的な見解を学ぶならば、今までの授業でも教えられます。しかし、本当に獲得しなければならないのは「自分の腎臓を売ってもいいだろうか?」という問いに答えられるのではなく、「自分の腎臓を売ってもいいだろうか?」に代表される答えのない問題に答えられる能力なのです。

 見開き2頁の問題を解けるようになるだけなら、子どもが十人以下で、授業能力の高い人ならば今の授業でも可能かもしれません。しかし、それでは社会で生き残れる子どもは育てられません。授業はその日の問題が解けるようになるためにあるという意識を、子どもの一生涯の幸せを保証するためにあるという意識に変える必要があります。

 そのためには、教材研究以上に、子どもたちが大人として生きる社会はどのような社会であるかを理解しなければならないのです。そうなれば、読まねばならない本の種類が変わるはずです。

追伸 『学び合い』の授業を見た際に、その日の授業レベルのことしか語れない人が大部分です。致し方ありません。いままで、それしか求められなかったからです。