■ [大事なこと]素敵

三十年後、四十年後の話をして子どもが分かるか?
分からない子が大多数です。
そして、分かる子でも、「そうかな~・・」です。
このあたりは、『学び合い』の実践者も、そうでない人も同じです。
でも、その程度でも、三十年後、四十年後の子どもたちの幸せに繋がると夢想し、そのように子どもに語れば、子どもにも分かると思うのが『学び合い』です。
ま、そう思えない人が大多数であることは了解しています。でも、ここで書いていることが素敵だと思う人もいます。
■ [大事なこと]『学び合い』

最近、ゼミ生から聞かれました。
『「『学び合い』の会に出たとき、これって『学び合い』?と思われる実践があり、周りの人が、これも『学び合い』なんだと安心している人がいました。西川先生はどうお考えですか?』と聞かれました。
私が誰のことを言っているであろうことを名指して語ったので、ゼミ生はビックリしました。(つまり、分かっていることを分かって)
以降の私の説明はおおよそ以下の通りです。
「それは分かっているよ。あるものが『学び合い』であるか否かを私という個人が判断することはいいことではない。判断できるのは理論だよ。そして、入り口は多様であるべきだ。でも、最終的に達するものが分かったならば、結局、一つに至る」
では、『学び合い』であるか否かを判別する方法は何でしょうか?
『学び合い』の根幹は願いであり、学校観、子ども観です。
学校観で説明しましょう。結局、それが願いと子ども観に繋がりますから。
『学び合い』とその他との簡単な違いは、その授業の目標を「その日」におくか、「1年」をくか、30十年後、40年後におくかです。
その日におくのは従来型授業です。30年後、40年後に置くのが『学び合い』です。その授業が30年後、40年後に人生に関わるかを「子ども(正確にはクラスの中の2割)」が納得できる説明できるのが『学び合い』です。
この説明だったら、ゼミ生、同志の方は分かると思います。それに繋がり、その変化が子どもが分かる姿は分かると思いますから。これは『学び合い』の実践者以外、意味不明だと思います。