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2015-10-09

[]禁断の味 21:31 禁断の味 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 禁断の味 - 西川純のメモ 禁断の味 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今日はゼミの飲み会です。

 ゼミ生と話しました。

 「可愛い」の一言です。どの子と話しても、私を選んでくれた子どもたちです(中には40代もいます)。話せば話すほど、語りたくなる。でも、本質は集団。分かっています。でも、ゼミの飲み会ぐらいは自分を許します。

[]長野セミナー 06:58 長野セミナー - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 長野セミナー - 西川純のメモ 長野セミナー - 西川純のメモ のブックマークコメント

「第9回『学び合い』長野セミナー-アクティブ・ラーニングへの近道-」を開催することになりましたので,ご案内します。

お誘い合わせの上,ご参集くださいますようお誘いいたします。

皆様にお会いできることを楽しみにしています。

<第9回『学び合い』長野セミナー-アクティブ・ラーニングへの近道->

日時:2015年1212日(土)9時00分~12時30分

会場:信州大学教育学部N101講義室

日程:

9:00-10:30 アクティブ・ラーニングの講演(西川純氏)

10:40-11:30 『学び合い』によるアクティブ・ラーニングの体験

11:40-12:10 『学び合い』によるアクティブ・ラーニングの実践発表(小布施町立栗ガ丘小学校,小布施町立小布施中学校,中野西高等学校)

12:10-12:30 アクティブ・ラーニングへの近道のフリー・トーク

参加費 一般2,000円,大学院生1,000円

詳細は,http://www.shinshu-u.ac.jp/faculty/education/news/2015/09/1666429.html をご覧ください。

お申し込みは,こくちーず http://kokucheese.com/event/index/334503/ からできます。

[]倫理的・社会的能力 06:05 倫理的・社会的能力 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 倫理的・社会的能力 - 西川純のメモ 倫理的・社会的能力 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 アクティブ・ラーニングの定義の定義は、平成24年8月28日に発表された「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ~(答申)」の用語集にあります。その中には、「学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。」とあります。

 ある方から、「倫理的、社会的能力」とは何ですか?と聞かれました。

 「認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験」とは「汎用的能力」の様々な側面を示すものです。では、汎用的能力とは何か?それは学校教育で達成すべき人格の完成です。

 つまり、学校で学ぶべきものの中で「認知的・知識・経験」は学習指導で行っています。だとしたら、「倫理的、社会的能力」は学習指導と一対となっている生徒指導に対応しています。

 つまり、アクティブ・ラーニングとは学習指導と生徒指導が一体となった教授・学習法と言えます。

 つまり、教師が「みんなが協力する」を生徒指導の柱にしていたならば、国語や理科の授業においても「みんなが協力する」を子どもに求めるのです。その教師が「深く考える」を教科指導の柱にしているならば、挨拶運動や喫煙指導においても「深く考える」ことを子どもに求めるのです。学校教育の全てにおいて学習指導と教科指導が渾然となっているのがアクティブ・ラーニングです。

 今までは学習指導は教科の時間、生徒指導は教科外の時間でした。では、それで教科指導と生徒指導は融合できるでしょうか?

 自分自身が大学で教員免許取得のための講義を受けていたときを思い出して下さい。きっと「こんなの学校の先生になって役立たないよな」と思ったことはあったと思います。その講義の担当者が、「それは私の仕事ではない。学生の仕事。現場で融合すればいい」と思っていたとしたら、どう思われますか?その講義の担当者が融合することをしない理由は、それがとても難しいことだからです。そんな難しいことを学生に丸投げするのは無責任だと思います。

 学習指導で学ぶこと、生徒指導で学ぶこと、それらを融合し、教育基本法第一条で規定されている人格の完成に繋げることは難しいことです。だから、今まで学習指導は教科の時間、生徒指導は教科外の時間で行われていました。しかし、それは無責任ではないでしょうか?教師すらも難しいと思っていることを子どもに丸投げするのは無責任です。

 それに学習指導と生徒指導が分離したならば、子どもは安心して教師の指導を受けることは出来ません。子どもは学習指導・生徒指導をその内容で受け入れるか否かを決めているのではなく、それを語る教師によって受け入れるか否かを決めています。

 考えてもみて下さい。教諭は校長の「人」を様々な言動を通して理解しようとします。そして、その「人」に基づいて校長の指示を理解しようとします。例えば、「あの校長は自分の指示をしっかり守ることを求める人だ」と思えば、校長が「皆さんの自由な発意のもとに考えて下さい」と言っても、教諭は「結局、何をやればいいの?」と思うでしょう。子どもも同じです。学習指導で言っていることと、生徒指導で言っていることがバラバラならば混乱します。

 つまり「倫理的、社会的能力」とは生徒指導で育てたいと思っている能力、です。