■ [う~ん]愚痴
「答えのある問題に答える能力」、「答えの無い問題に答えを生み出す能力」は別なものです。前者の代表が受験能力。これは時間と手間はかかりますが、しっかりした方法に則れば誰でも一定以上の結果を出せます。だから高学歴の保護者の子どもの成績は高いのです。また歌舞伎役者は何代も名人を輩出できます。「型」がハッキリしているからです。ところが同じ芸能でも落語の場合は三代続く名人はいません。
では、「答えの無い問題に答えを生み出す能力」はどうやって獲得できるでしょうか?「答えのある問題に答える能力」と比べると、圧倒的に天賦の才能に由来すると思います。「答えの無い問題に答えを生み出す能力」を持って生まれた子どもでも、それを開化するか否かは教育によるところが大きい。ただし、答えのない問題ですから、スタンダードな方法はありません。その子どもの興味の赴くまま、徹底的に色々な経験をさせることが必要です。そして、乱読に近い読書が必要でしょう。「答えの無い問題に答えを生み出す」には0からでは無理です。ただ、その領域で知られている発想では、既に答えは出ているものしか出ません。その領域以外の発想が必要です。しかし、その領域以外のどの発想が必要なのかが分かりません。だから乱読が必要なのです。でも、乱読には時間がかかります。そのような乱読をすると「答えのある問題に答える能力」を育てる受験勉強が出来なくなります。
今の日本をリードしている人達は「答えのある問題に答える能力」が大部分です。そして、「答えのある問題に答える能力」を片手間で乗り越えられる一部の天才が乱読によって「答えの無い問題に答えを生み出す能力」を得た人です。いずれにせよ「答えのある問題に答える能力」が必要条件なのです。その結果として、「答えの無い問題に答えを生み出す能力」の中で大学進学しなければならない領域の人は、その入り口で潰されます。
ま、今までの日本はそれでよかった。でも、今後は「答えの無い問題に答えを生み出す能力」が重視され、「答えのある問題に答える能力」が相対的に軽視される時代です。特に、日本をリードする人材においてはそれが顕著になります。
ということで、息子の「答えの無い問題に答えを生み出す能力」を押さえ込み、「答えのある問題に答える能力」に尻をたたえています。そんなのは彼が大人になってから役に立たないことを日本で最も知っている人の一人である私がそうやっています。彼が生まれるのが5年後だったら、家庭学習において全く別な戦略を立てます。
願わくば、彼の「答えの無い問題に答えを生み出す能力」が萎縮しないように。
追伸 彼の指向性に合うかどうか分かりませんが、ボナールの友情論、スタンダールの恋愛論、ヴェルレールの詩を中学校高学年の時代に読ませたかった。二十歳を過ぎたとき、それを全く別に読めることを経験させたかった。しかし、もう間に合いません。