■ [お誘い]広島
12月13日(日)に広島で講演します。詳細は以下の通りです。
1(主催)広島県高等学校教育研究会理科部会
2(日時)平成27年12月13日(日)
受付 9:00~ 9:30
講演 9:30~12:30
テーマ「これからの理科教育において大切なこと」
講師:上越教育大学 教授 西川純氏
常葉大学 准教授 田代直幸氏
3(場所)ワークピア広島 一般社団法人広島労働会館 2階会議室
〒732-0825 広島市南区金屋町1-17 Tel(082)261-8131
本会は高校理科の人を対象とした会ですが、主催者のご厚意により、小中の方、また、県外者もOKです。
ご希望の方は山内宗治(やまうちそうじ)さんに,所属と氏名を記入して,メールで申し込んでください。
(メールアドレス)souji.yamauchi@gmail.com
■ [大事なこと]箱物主義
私が大学院生だった30年前はCAI、CMI、オーサリングソフトの研究が盛んでした。それ以来、全然変わらない。コンピュータを教育に活用しようとすると、まず、機械を導入しようとします。電子黒板しかり、タブレット端末しかり、です。でも、そんなこと不要です。予算0でICT教育が出来ます。
『学び合い』でスマホを自由に使わせればいい。
簡単なのにな~
インターネットを自由に使わせると、問題が起こると言います。
じゃあ、学校外で問題が起こっても問題ないのか、卒業してから問題が起こっても問題ないのか、と言いたい。
子どもためとか言っても、小役人根性なのです。
■ [大事なこと]闇
私が日々抱えている闇の一つを書きます。
ある学校で『学び合い』に特別支援の子が入っています。その子のそばには友達がついて教えています。特別支援の子は柔和な顔です。ところが特別支援の先生は、その子が「出来ない」ということが露わになりかわいそうだと怒ります。そして、友達が教えているところに割って入ります。
ありがちな場面です。
その特別支援の先生の頭の中には、自分が担任する1年間しか頭にありません。その子が三十才、四十才、五十才のことをイメージしていません。その時代にその子を守るのはその先生ではなく仲間なのです。それを分断している自分に気づいていない。
その特別支援の先生の頭の中には国語や社会が出来ることが偉くて、それが出来ないことは「可哀想だ」と思っています。教師がそう思えば、特別支援の子は自分を可哀想だと思います。そして、周りの子どもはその子を可哀想な子だと思います。自分が持つ可哀想だという思いが、子どもに劣等感と軽蔑を生み出していることに気づいていない。
様々なデータによって、おそらく、その子が年収200万円以下の生活に陥る危険性がかなり高く、餓死する危険性があることを私は知っています。その原因は心優しい特別支援の先生なのです。しかし、私には何も出来ない。
私は面白い授業、分かりやすい授業によって、何とかしようとした。しかし、私の担任した子どもが卒業する卒業式に参加し、それらは全く無駄であり、いや、子どもの人生を狂わしたことを知りました。もし、私が高校教師として最後まで担任していたら、その問題は卒業式では露わにならないでしょう。しかし、卒業後に露わになる。しかし、それを私は知らない。そして、私は自分を「良い先生だ」思います。きっと、その特別支援の先生もそう思うでしょう。もし、自分が卒業させた20年後の子どもの保護者に出会えば、感謝の言葉ではなく恨み節を聞くでしょう。しかし、そんなことを経験する人はいません。その先生の頭の中には「その1年」しかありません。そこから先は、自分の責任ではないのです。偉そうなことはいえません。私も卒業式で現実に直面するまでは自分を「良い先生だ」と思っていましたから。
私は従来型の授業、『学び合い』の授業の20秒ぐらいの中でそのようなことを見いだしてしまいます。そして、それが何を意味し、どうなるかを予想する知識がある。そして、その子の人生のつらさを共感してしまう。一つの授業の中で最低5、6ぐらいはそんなことを発見します。そして、それに対して何も出来ない自分がいます。
それが辛い。私が見ていなくても、毎日、多くの人からの相談メールでそれを知ってしまう。それが毎日、数十、数百積み上がる。
私は自分一人の抱える闇だけ潰れた。そして大学に逃げ込んだ。
でも、今は潰れません。自分の出来ることの限界を知っているから。やるべきことが分かっているから。私が解決できなくても、それは私の能力不足でも努力不足でもなく、それは無理であることを知っています。同時に、それはみんなでやれば解決できることを知っています。だから、毎日、自分の出来ることをしています。
このメモも、その一つです。
何かし続けていないと、日々積み上がる闇につぶされてしまう。だから、馬車馬のように何かをしています。